二元思考は実は現実的ではない。
タロットをしていると、解決方法に、何もしなくてよいとか、様子を見守るとかの意味で解釈できる展開が出ることがあります。
時には「中途半端のままでよい」というように読めることすらあります。
何事も「はっきりさせること」「白黒つけることをよし」としてきた(教育されてきた)人にとっては、そもそも解決方法として、「何もしないこと」「グレーゾーンでいる」ことの選択肢が存在することが信じられないという方もいます。
これは実は何もしないわけではなく、「何もしない」「しばらく様子見する」という選択と行動をしているわけです。また、「タイミングを計る」という意味のこともあります。
カラーの表をみればわかることですが、両極端に白と黒を置き、その間の色を観察すると、グラデーションになっています。
白よりか黒よりかの違いはありますが、極点に行かない限り、そのどちらでもないのです。
この、両極間のグラデーションの色数は、それこそ無限にあるでしょう。色は波動や周波数とも考えることができますから、言ってみれば、それだけたくさんの状態があるということです。
ということは、私たちの世界も、白と黒というはっきりしたものは少なく、この無数のグラデーション状態が普通なのだと思うことができます。
ですから、むしろはっきりさせるというよりは、「どのグラデーション状態の色(あり方・波動)にするのが今の自分にとってふさわしいのか」という選択の問題であると、解決については見ることも可能です。
ここで重要なのは、白と黒という二極そのものを除いて、グラデーションの色は、そのどちらの色も入っているということです。
白よりの黒であれ、黒よりの白であれ、それは明暗の灰色として、白と黒の両方の色が含まれている状態なのです。
従って、どんな状況であっても、ほとんどはどちらの両極要素が存在していることになり、反対の方向や性質のものが、どの選択状態にあっても潜在していると見ることができます。
それは今は白であっても逆の黒に転じ、その反対の黒であっても白になる可能性をいつも秘めている
ということであり、また両方の微妙なバランスによってその状態が現れているとも言えます。
よいと思っていたものが、実は悪いと感じるものの要素であったり、その逆の悪いと考えていたものが、実はすごくよいことをもたらすものであったというこはよくあることです。
いや、むしろそれが宇宙的な原理であると言えるでしょう。
よいと悪いと決めているのは、あくまで私たち一人一人の人間の思いで、本来はひとつのエネルギーが両極に分かれた、質の異なるエネルギー表現の違いでしかなく、その移行と循環の波によって私たちも動いている(動かされている)と言えましょう。
マルセイユタロットでいえば、「正義」という基準と選択を見ながらも、同時に「運命の輪」も考慮するという感じでしょうか。
私たちの選択は、自分にとってよい状況になるために基本的には行われるわけですが、それはともすれば、現実世界の目に見える情報と状態(の基準・価値)によって行われています。
その場合、いいか悪いかの白黒的に二元の基準で見ることが多くなり、三元・四元・五元的な見方、つまり目に見えないものを含む見方、白黒以外の見方などが入りにくくなります。
先述したたように、実は白と黒の極端な色の世界というのはまさにふたつだけですから、必然、グラデーションの数だけある世界、つまり自然や実際とは相反することになりがちで、そのことが、人に苦しみをもたらす原因のひとつになっているのではないかと思われます。
成功者・失敗者(成功していない者)、勝ち組・負け組などいう表現が如実にそのことを示しており、これらの二元範疇に入らないことのほうが普通なのに、二元でとらえようとするので葛藤と相克が生じるわけです。
ただ二元で考えるのは単純でとても楽なこともあり、複雑な段階や次元を見たり、考えずに済みますので、洗脳としても、また自分が価値を置くことにしても、非常に甘美な思考方法になるのです。
人を支配したい人、洗脳したい側の者は、よくこのことは理解しており、わざと人を二元の価値に置くように、私たちをし向けているところがあるので注意しましょう。
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