世界旅行の選択、「神の家」を例にして。
マルセイユタロットに「神の家」という名称のカードがあります。
このカードが、ほかの種類のタロットでは、「塔」と呼ばれて、かなり不吉なカードとして扱われている場合があります。
実際に占いをされる方にはそうしたこと(「塔」を引くと凶意を示すこと)があるものと思いますし、それはある種のエネルギー表現として、見えないそのタロットの世界の集合思念のようなものともつながっていますので、実践においてそういう使い方と解釈をしていると、本当だと実感することもあるでしょう。
要はあるカードが出ると「凶」として解釈されるようなこと(世界・フィールド・表現)も実際にはあるのだということです。
ですから反対に、ある別のカードが出ると、すばらしいことが起こる、吉的なことを象徴するとなって、現実がその通りにリンクする世界もあります。
ただ、私の扱うマルセイユタロットの世界観での「神の家」は、吉凶的な意味をもたせません。
そうした表現で見るという解釈ですので、どれが正しいとか間違っているということではないのです。
私のマルセイユタロットの見方では、どちらかといえば、「神の家」は喜ばしい解釈になりますが、これも単純な吉を表すというものでもないのです。
何回も言いますが、吉凶でタロットカードを見ないというのは、これもひとつの解釈と世界観ですので、吉凶でカードを見る占いが間違っているとか正しいとかいう議論とは相容れないものです。
そう思う人にはそうなりますし、そうでないと解釈する人はそういう世界観と価値観のもとでタロットを見ることになります。
そうは言っても、「いや、違うのですよ、占いしていると本当にある種のカードは凶意を示しますし、別のカードは吉兆を表して、クライアントさんも実際にその通りだったとたくさん言ってきています!」という占い師の方も多いでしょう。
これは実際にそうだったから、カードはやはり吉凶を示すと解釈するのが正しいと思いがちですが、ところがやはり、見方によっては、それもどこか違うとわかるのです。
それは、一言でいえば、多元的宇宙の、ひとつの世界をあなたは選択したということです。
つまりカードを吉凶で見て、それが現実にリンクする世界をあなたが選択したのです。(次第にその世界にあなたが移行したと言ってもいいでしょう)
おそらくタロットを習い始めた人にはおよそ理解できない概念かもしれませんが、どうやら私たちは、いろいろ同時に存在している世界のひとつを、その時その時に選択して生きているということが、ほかならぬタロットをしているとわかってくるのです。
いや、それこそも、実はひとつの世界観の選択でしかないのでしょう。
結局、究極的にはどの世界にも私たちは、心や意識の思いと選択で移行が可能であり、修羅の世界に行くことも出来れば、平和な世界にも存在させることができます。
しかしなから、この現実のフィールドは、それだけにいつも様々なレベルや多層の世界が混交していて、人々の思念も複層していますので、絶え間なく様々なエネルギーの影響を受け、自分が確固たるものを持っているように思っていても、やはりどこかで変動してしまような「場」にいると考えられます。
常に一定の世界にいられない仕組みなのでしょう。
とはいえ、自分(の意識・思考・価値観)が選択している世界に一番長く滞在するようにはなっているように感じます。
ということで、「神の家」を例にしていますが、これを「塔」として吉凶的に見て活用していく世界観もありますし、吉凶ではなく、その「神の家」が示すエネルギーを、バランスによる見方によって、解釈を良くも悪くもできるという世界観もあるということになります。
私の教えるマルセイユタロットにおいては、後者ですが、これも正しいとか正しくないとかではなく、あくまで自分の思いによる「選択」なのです。そういう「旅先」を自分が今は選んでいるということに過ぎないのです。
従って、同じ旅のツアーをする者同士が集まりやすくなり、意識も共有されやすくなるのです。
同じ種類のタロットで、同じような意味と解釈をされる方々は、ほかの部分においても共通することが多いのは、こうした理由によるのです。
今まで、違う世界観の旅をしてきた人も、自分の意識が変化するにつれ、新しい世界観でのタロットワールドにツアーや旅先を変更していく人もいて、まさに自分の意識と興味は、自分が習いたい、学習したいと思っているもの、教える人、属している状態や組織の人たちの志向(思考)を見ればわかることもあるのです。
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