違和感を大切に。

違和感というものがあります。

これは漢字をバラバラにしますと、「和」とは「違」う「感」じということで、マイナス的なイメージが出ますが、しかしそのまま解釈しますと、まさに調和である「和」から「違」っている「感」覚ということなので、バランスセンサーみたいなものとも言え、役立つプラス的イメージも出ます。

つまり違和感を覚えるということは、調和からはずれている何らかのサインだということです。

ということで、何事も「違和感」があるのならそのままにせず、少しチェックを働かせてみる必要があると言えます。

しかし、実はこの違和感、「悪魔」による巧妙な別の違和感もあるので注意が必要です。

言ってみれば、違和感の基準になっているものが、エゴによる願望になっていることがあるのです。

換言すれば、快楽や低次の充足感をイメージしていて、それからずれている(願望とは異なる)ため違和感が生じているというものです。

本当の自分を大切にしている「真我」のような心からずれている時の違和感は、ある意味、「正義」の違和感だと言えます。

しかし、低次の心から来るものとのズレによる違和感は、「悪魔」の違和感と言えます。

ここを取り違えると、本質からはずれた選択をしてしまいがちです。

自分の「本当の心」「真実の気持ち」と思っていたものが、実は悪魔によって生み出されていたものであったとなるのです。

ここで言う「悪魔」というのはマルセイユタロットの「悪魔」にも関連しますが、実際の悪魔的な存在というのではなく、象徴的なものです。

ですから、たとえばマスコミが作り出した商業イメージとか、他人からの影響とか、極端な物質または精神主義による成功イメージによるものとかの場合があるのです。

とにかく違和感を覚えたら、そのもとになっている「基準」を思うことです。

何からズレているので違和感となっているのか、その何かとはいったいどんなイメージで、どんな状態であるのか。

これに遡ることです。

そうすると、自分が抱いていた違和感が、偽物の違和感(本来違和感を覚える必要のない違和感)であることに気がつきます。

実は悪魔の違和感の目的はこれ(偽物に気付く、言い換えれば本物に出会う過程)にあると考えられます。

よって、マルセイユタロットで象徴される「悪魔」も、本当の意味では高次の存在となります。

結局のところ、すべての違和感は、自分を成長させるための重要な手がかり・指針であることになります。

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