マルセイユタロットで知る別世界

マルセイユタロットとその歴史的背景を知ると、実はいろいろなことが違って見えてきます。


たとえば、一昔前に流行った「ダ・ヴィンチ・コード」という本。


いわゆる推理小説ものではありますが、マルセイユタロットの学習後は、この内容がとてもリアリティをもって迫ってくることになるでしょう。


よく受講生からも感想をお聞きしますが、マルセイユタロットを知らなかた時とは、「まるで別物語」だとおっしゃいます。


逆に言えば、あの本に興味を抱いた人、心震わされた人は、マルセイユタロットに(流れる思想的・霊的背景)に縁が深いとも考えられます。


こうした歴史や秘教的なことだけではなく、マルセイユタロットを学べば、単純に自分の見る世界が変わってくるとも言えます。


それはマルセイユタロットが優れた象徴ツールなので、タロットを通してもう一度、世界をとらえ直す作業が始まるからです。


象徴で物事をとらえていくとどうなるかと言いますと、象徴は抽象的ではあるものの、機械的に「これは○○だ」とひとつのことに決められる関係での理解ではなく、あるゆるものにその共通性や関連性をつなげていくことのできる有機的な装置になっていきますので、細かいことでも全体性や大きなものにまとめて行きやすくなるのです。


簡単にいえば、複雑なものをシンプルに見ることができるということです。


実は私たちの悩みや問題は、物事を複雑に見過ぎている(考えすぎている)ということが原因のことも多いのです。


人はともすれば、わざと難しく考えてしまう傾向にあるのですね。それは感情と思考が入り交じって、直観的な判断(直感とは違います)ができないからでもあります。


人の感情と思考には、好き嫌いもあれば、あの人より優れたいとか、どちらが(今の社会的環境と価値で自分にとって)得なのかなど思ってしまう、様々な見方(モノサシ)があります。


そしていちいちモノサシ・基準をたくさん同時にあてはめてしまうので、混乱するわけですね。ここに複雑化による混迷と闇があるわけです。


それをいったん壊して、シンプルに見ていけば(モノサシをひとつとか単純にする)、意外とあっさり結論が出たり、本質が見えてきたりするものです。


ちなみにこれら混乱の様子を分離して見ていき、さらに統合してシンプルに考察することは、マルセイユタロットの「月と「太陽」でも表現できますし、数の小さいカードと大きいカード、小アルカナと大アルカナの関係等で見ていくことも可能です。


もうひとつ大切な点は、シンプルにするということだけではなく、「ダ・ヴィンチ・コード」の例にも示したように、マルセイユタロットを知れば、今までの物語とは別の物語を読むことができるようになるということです。


しかもそれがまた、宇宙の全体性や統一性に基づいています。


このような作業が結局、私たちが生きていることの意味と、この世界が、ある大いなる存在による壮大な表現の場であることの探究及び感得として、少しずつ隠されていた覆い(ヴェール)をはがしていくことにつながるのです。

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