感情にまつわる人生の意味
私はマルセイユタロットに接してきまして、人の人生はまさに感情の体験に鍵があると思ってきています。
よく「無になる」とか、「穏やかになる」ということが人生の目標のように言われますが、「感情の体験」となると、まるで正反対のことを述べているわように思われるかもしれません。
確かにある意味その通りで、しかしまた実は同じ意味にもなってくるのです。
ところで、肉体をもって生まれるとということは、肉体という箱・制限をもって生まれ、人生を現実的には歩むということになります。
ちょうどコップに水を入れてみればわかりますが、水もコップの囲みという制限があるからこそ、そこに水として存在することができます。
そしてこの水の波・振動自体が感情だとイメージします。ここでコップを揺らせてみます。
そうしますと、波はやはりコップの壁に囲まれていることにより大きく発生し、バチャンバチャンと音を立てるでしょう。
これが周囲に何もない状態だと波は生じません。水としてただ流れるか染みこむだけです。
この囲いこそが肉体でもあります。そう、私たちは肉体や物質があるからこそ水が揺れ、つまり感情を味わい体験することができるのです。
さらにはこの水=感情(の波)はなかなかこの現実世界でしか経験できないと言えます。なぜなら形(物質)なき世界があの世だと想像できるからです。
たとえ物質があの世(別世界)にあっても、おそらくそれはこの私たちが経験している現実の世界のそれとは異なるものでしょう。次元や表現の違う物質だからです。
ということは泣いたり笑ったり、まさに喜怒哀楽を味わい、感情に波(振幅)を起こす体験は、非常に貴重だということになります。
しかしながら、一方であまりに激しい波はコップからあふれ、時には振動によってコップの壁を打ち破ることになるかもしれません。
これでは元も子もありません。こうした状況は、土台や大元である肉体が壊れるということであり、死や病気・不幸を意味することになるからです。
ただし、これが秘密にもなりますが、壊れるほどの感情の波をエネルギーとして自分にうまく採り入れたとき、それは常識を超えた世界に自らを飛翔させる原動力になるということでもあります。
しかしながら、これはきちんと修行しないとおそらく危険なことでもあるでしょう。
ともあれ、あまり激しい波は問題があることになります。
実際的に言えば、起こる現象に振り回され右往左往したり、怒りや悲しみに任せて感情的になりすぎたりしてしまうことです。
従って、ほどよい感情体験を経験するか、あるいは怒りや悲しみのようなマイナスの激しい感情に支配されるのではなく、ひとつの小さな体験にも深い喜びと楽しみを見いだせるようになるのが望ましいわけです。
具体的にどうすればよいかは皆さん、各自で考えてみてください。
私自身は、特に後者の「体験を深くする」というものは、マルセイユタロットでできると考えています。
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