「どう生きるか?」に答え(応え)るもの。

人間はまったくの自由ではおそらく、現実的な意味で生きられない存在だと想像できます。

日常活動と思考においては、何かのモデルや例、概念・コンセプトのようなものがなければ、何から始め、どのようにしていけばよいのかがわかりにくいからです。

ということは、先人たちの経験や積み重ね、今ある情報等を自分の中に入れていかなくてはならない(生きることができない)とも言えます。

もちろん人間には本能というものもありますので、それに従うことで、生存すること自体は可能かもしれません。

しかし生きるために食べ物を得るにも、この現実社会では合理的に行動しないと、破滅を招くか、本当に死を招きかねません。

それは自分のいる社会(世界)の法やルールに従って生きなければならないということでもありますし、制約の中での自由を選択してこそ、普通に生きられるという意味でもあります。

そして、生存のために生きるだけというレベルから上昇して行くと、「生きるにはどうすればよいのか?」ということから、「どのように生きればよいのか?」というテーマに変わってきます。

ここにも、先述したように自由の問題が出ます。

「さあ、生きたいように生きてごらん」「あなたはどう生きようと自由だよ」と言われたところで、生きる目的何かのビジョンがないと選択に困ります。

つまりは選択の材料や素材になるイメージが必要だということです。

それは具体的でなくてもいいのですが、とにかく「何かの指針のようなもの」は要ります。

ここに、私はマルセイユタロットを持ってくることができるのではないかと考えています。

タロットごときが人生の指針などなるか!とお怒りの方もいらっしゃるかもしれません。

それはタロットを単なる占い(の道具)だと見た場合のことです。

実はマルセイユタロットには、「どう生きればよいのか?」という、先ほどのテーマに答えられる(応えられる)絵図が用意されています。

それは解説されないとわからないものですが、理解できれば、しっかりとした人生の道筋・道程をイメージすることができるようになります。

このことは、タロットが絵であり、象徴であるという理由が大きいのです。頭で理解するだけでなく、心や魂でも感じることができるのがいわゆる「教説」や「教訓」的なものとの大きな違いです。

しかも、万人に共通なところが描かれていると同時に、個人それぞれの生き方にも適用できる個別性も有しています。

同時に抽象的ではありますが、もう少し具体化した次元に落として、その道のモデル(道程・地図)とすることも可能です。

たとえば「人生の成功」という大きなテーマにも答えながら、「恋」や「仕事」というパートにも応用可能に解釈できるということです。

加えて瞬間瞬間の心模様・状況もカードに投影し、分析することもできます。

これは過去・現在・未来という具合に流れる時間と、今この瞬間のみという時間概念をなくした考えとが同居する見方にもなります。

すでに鋭い方は気がついているかもしれませんが、ここに書いてきていることは、マルセイユタロットが相反する要素の同時存在を可能にするいう「二元統合」の装置であることを示唆しています。

この意味の大きさに気がつく時、あなたはマルセイユタロットの叡智とすばらしさを知ることになるでしょう。

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