迷っている時の、選び方の思考法
何かを決断したり選択したりする時、ふたつの方向性で物事を考えることができます。
ひとつは統合の見方、もうひとつは個別の見方です。
前者は、たとえば「今想定している選択肢を超えたものはないだろうか」「選択肢以外の方法があるのではないか」というような見方をすることであり、時には「選択肢全部が可能」という考え方もしてみるという方法です。
これは自分の次元(レベル)が上がったり、学びや新しい経験による気づきなとがあったりして、今までの思考の枠が破られ、この統合の見方に導かれる場合があります。
一見矛盾したものを統合しますので(それはまるで禅問答の解のようなものです)、この統合の見方による解決が出た時点で、あなたは自分のレベルが上昇したことになります。
逆にいえば、なかなかいい解決策が出ない時は、まだ同じ次元にいるということになります。
ちなみにマルセイユタロットは、この「次元を上げる気づき」をもたらせるのにはとてもよいツールです。
さて後者の「個別にして見るやり方」というのは、簡単に言えば要素の分析です。
ひとひとつの選択肢をバラバラにして解析し、自分の一番大切な価値観(大事にしているもの)は何かを知ったうえで、その価値観と合致するものを選ぶという方法です。
この場合、あちらを立てればこちらが立たずという葛藤や迷いを生みやすいのですが、結局それは自分の今一番大切にしているものが何かということがわかっていないので、迷うわけです。
よくあるのが「理想」と「現実」での葛藤、平たく言えば「安定」と「夢を追う」かの二者択一ですが、夢を追うのが恐いのなら、それは安定を大切にしているほうが少しでも上回っていると言えますので、自分の気持ちや価値観が変わるまでは安定を選んでいたほうがいいでしょう。
安定より夢を追うのが自分にとって価値が上だと信じることができれば、安定の環境から自分を、マルセイユタロットでいえば「愚者」のように旅立たせることができます。
それから「割り切る」という見方も、この個別の要素分析の方法と同じです。
例を示します。
日本の社会では職場、そして学校などの教育現場においてでも、成果(利益、学業・スポーツなどの結果)だけではなく、精神修養の場と混同されているところがあります。
社会自体が精神道場になっているのですね。ですから先生や先輩、上司たちが武道の道場にいる人ぽいふるまい方をします。
これについての良し悪しは言及しませんが、ここで分析の方法が活きるのです。
つまり、自分は精神修養・耐性訓練も兼ねてここ(職場など)にいるのだと割り切るかどうかです。
もちろん給料をいただくために耐えなければならないこともあるのですが、それも「お金をもらいながら精神を鍛えているのだ」と「割り切る」と少しは楽です。
けれども、「私は精神修養をここでは求めていませんよ、あくまで生活(お金)のためです」というのなら、その場でなければ絶対稼げない(お金がいだたけない)ということはないはずです。
またさらには、「これからは人生を精神修養ではなく、実際に楽しみたい」という価値観を持つのならば、やはり精神修養の環境ではない場所を選択したほうが自分に合うことになります。
もっとも、究極的には自分の心(思い方)によって、いかようにでも周囲の環境をとらえることができますので、結局は自分次第であるということも言えます。
何かの選択や決断で迷っていらっしゃる方のご参考までに。
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