タロットの智慧へのアクセス

いつも言っていることですが、マルセイユタロットの、特に大アルカナの意味を知り、画像を眺めていると、いろいろな気づきが毎日のように起こります。

ここで重要なのは、タロット自体が知識を見ている側に植え付けているのではなく、タロットを見ている者が、自分の中にある知識や記憶・経験を、タロットの絵柄(つまり象徴)に関連させて浮かび上がらせているということです。

しかし逆に言えば、この場合、タロットがないと、うまく自分の内にあるものを整理して、あるいは直観的に取り出すことができないことになりますので、やはりタロットの役割は大なるものがあると考えられます。

(この観点からすれば、タロットが見ている側に知識を植え付けているようにも取ることができますが、結局その知識や気づきを思い起こしているのは見ている人間なので、見ている側に根本がもともとあるということに行き着きます)

自分の内なる知識・智慧というのは、単に一人の人間が記憶し経験してきたことだけに留まりません。

人間には、人類に共通した智慧や経験が蓄積された、ある種の貯蔵庫にアクセスできる能力があると言われています。心理的には集合意識というようなものと考えてもよいかもしれません。

ただそこには今の生きている人類だけではなく、連綿と続く歴史そのものすべてが蓄積されているとも想像され、そのために膨大なデータになっているわけです。

さらにはそのデータベースには、未来に含まれることも存在していると言う人もおり、そうなるともはやデータは無限とさえ言えるでしょう。

ただし、これは私の考えですが、誰でもすべてのデータにアクセスし、ダウンロードできるのかといえば、そうではなく、まずある程度の時間(今の時代に生きているということ)の制約があり、またこれが一番大きな制限になると思えますが、アクセスするその人の意識の拡大規模・次元の高さによって変わってくるのではないかと考えられます。

このことはとても大切なことです。

というのも、重要なデータベースから誰でも無限で自由なアクセスを許可してしまうと、目的と意識レベルによっては、危険でさえあるからです。

扱えるレベルに応じて情報は与えないと、与えられるほうは混乱するばかりです。

それからアクセスする人のレベルに応じた与えられ方もあるのですが、もうひとつ、その人に適した与えられ方、見せられ方もするのだということです。

一言でいえば個性による表現方法の違いです。

Aさんにはこういう形、Bさんにはこんなインスピレーション、日本人には神様やお釈迦様として、キリスト教圏の人はキリストやマリア様として見える・・・といった具合でしょうか。

ここにマルセイユタロットにおけるリーディング、並びにタロットからの気づきや洞察の違いが、人によって生じるてくる理由が考えられるのです。

そして、ほとんど知られていないことですが、マルセイユタロットの場合、このシステム(人によるアクセスの許可範囲・内容に変化があること)によって、逆にアクセスする側が守られていることもあるのです。

それ以上、リーディングしてしまったり、直感を得たりすることがブロックされるようなもので、カードでいえば「月」のようなぼやかし・もやがかかることがあります。

これは単に勉強不足やリーディングの未熟から来るものとは違いますので、訓練も積んでいない段階から、「私がタロットを読めないのは、タロットからブロックされているんだわ・・」というような勘違いはしないようご注意ください。(笑)

それからタロットへアクセスすることばかり求めていても、自分にデータや知識を還元することは難しいです。

得られた知識なり情報なりを、必ず自己に活かすことをしましょう。少なくともその意識を持つことです。

そうしないとタロットから得られるものも、いつまでも経っても同じレベルのものでしかなくなります。これは、「開示される内容は、その人の意識の拡大による」と先述した通りだからです。

タロットを引いて自分に当てはめたり、占ったり、リーディングしたりすることだけがタロットの智慧を活用することではありません。むしろ慣れてくれば、タロットを直接引くことは少なくなります。

ではどうするのかと言えば、ここではあえて具体的には書きませんが、抽象的な文章で表現するとすれば、「タロットによって宇宙を知る、世界を知る、自分を知る」ために活用してくださいということになります。

そしてタロットの活用の仕方さえも、自分の内なるものから気づきを得ることができるのです。

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