日本と世界 今生じていること

これから書くことは、あくまで私の考えですので、これが正しいとか間違っているとかいう観点では見ないようにしてください。

「こういう視点もあるよ」という程度のものです。これもタロットの多面的な見方につながることであり、そもそもタロットを読んでいて感じられた内容でもあります。

最近、日本や日本人に関わる海外との関連の報道を見ますと、大きな意味で、やはり融合化が始まっているのを感じます。

さて今、世間で起こっている日本関連の海外・国際関係での事件等は、比較的日本にとってはよくないことが多いです。

いわば、日本とほかの国(の人たち)との違いが、むしろ明確に感じられるようなことばかりのような気もします。

日本人(の心・常識)で良かったというところもあるでしょうし、どうしてほかの国の人たちはわかってくれないのだろうということもあるかと思います。

これを逆説的に考察していくと、文字通り、私たちが感じることとは「反対のこと」が隠された意味として存在しているということが見えてきます。

さきほど、日本とほかの国(の人)との違いが感じられると書きましたが、それこそが起こっていることの意味なのです。

つまり「違い」を知るということです。同時に、その「違い」同士がシャッフル(混ぜ合わ)され始めているということです。

グローバル化・世界化が言われて久しいですが、それでもまだまた、それぞれの国・地域には固有のものがあり、独特の考え方や生き方があります。

それはそれで尊重すべきことでもありますし、時に文化として残して行かねばならない部分もあると思います。

しかし、このように世界が身近になって、多くの国や地域の人と交流する時代になってきますと、自然に混じり合い標準化・平均化という現象も起こってきます。

言ってみれば、極端なところが次第に少なくなって来るわけです。

日本(人)は、とりわけ、「心の民族」とでもいうべき、「話さずとも真実が伝わる」という一種の「信仰」のようなものを持っている文化です。

これはまったく反対の、物理的な民族、つまり形やモノ・言葉などの誰もがわかる状態でのコミュニケーションを重視するという文化もあります。

だいたいはこの中間の、どちらか寄りの文化になっているのではないでしょうか。

しかし、日本(人)はかなり極端に、心や精神側に振れている国・民族だと言えます。

そこにはいわゆる汎神的な概念があり、見ていないところ、見えないところでも(正義の)神々がおり、いいことも悪いこともすべてお見通しであるという「信仰」、あるいは「共通心象世界」が存在しています。

また個人や特定の集団の中で処理して、なるべく自分(たち)だけで終わらさなくてならないという、これまた「ある信仰」があります。

逆にいえば、他者を巻き込まない、巻き込みたくない自分たちの世界で閉じこもりたいということでもあります。

ほかの国でも神や仏・精霊がおり、信仰も篤いものがあるとは思いますが、「自己表現」をすることが神に叶う、神の意志と神の国造りに貢献するとされるところもあるのです。

また自分たちが居住する上で、環境的に周囲から常に侵攻される危険性のある(あった)国々にとって、自己(国・民族・地域)を主張することはやむを得ない手段であり、そうしないと自分(たち)を守ることができなかったわけですから、それが文化となるのも当然だと言えます。

国ということで考えにくい場合は、宇宙的規模にして、SF的に「星に住む人(○○星人)」同士の関係と見ると、日本人にはわかりやすいかもしれません。

もしかすると「戦いに勝つ」ことが、もっとも価値のあることと考える星の人もいるかもしれないのです。

宇宙には高い知性の星の人もいれば、非常に低次の獣性に近い星の民もいて、仮にその人々が一緒になって「ひとつの星」や世界で住まなければならないとした場合を考えてみましょう。

そうしますと、なすがままの自然に任せていたり、黙っていたりしていて、すべてがうまく解決するとは思えないでしょう。

ここで自分たちのアイデンティティや存在を確かにするためには、やはりきちんとした意志表明が求められると想像できます。

また別々のものが混ぜ合わされると、結局平均化のような状態を呈します。

そして意外に思うかしもれませんが、平均化というのは、実際の平均よりも少しレベルの低い状態になって落ち着きます。

たとえば計算上では、(70点+90点+30点+10点)÷4=50点が平均ですが、実際の感覚として40点くらいの点数の感じになるというものです。

ですから、平均化というのは、混交した中での真ん中より低い状態が現れるのです。

ただ大切なのは、ここからなのです。平均化してやや低レベルになったのですから、そこから真ん中に行こうとする力が、まったくの平均よりも多く働きます。

一時的にレベルが下がったように見えて、そこからは向上しようというパワーも生まれるわけです。

また点数(レベル)での平均ではない均等化もあり、これは極端なものが穏やかなものに変化するということで言い換えられます。

今、日本と世界を含めて、いろいろなものが混ざり合い、その中で尖ったもの(極端なもの)が削ぎ落とされて、丸められているのです。

それは換言すれば「融合化」です。最初に「融合化」と言ったのは、この意味で述べていたわけです。

けれども、錬金術の過程でもあるように、混ぜ合わすことで実は純粋なものも生まれます。金を抽出するために水銀を使うようなものです。

混交は一時的にレベルを下げることもありますが、結局はある高次のものを浮上させる役割もあります。

日本(人)は(世界標準から見て)、今までの極端過ぎる状態のものから変容を迎えようとしているのかもしれませんし、今有している「よい伝統性」が、さらに別の意味で磨かれる過程を経ているのかもしれません。

一見、悪いことのように思える事態にも、必ず良いこと、光明は隠されているものなのです。

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