苦しい恋におけるプレゼント

片想いや報われない恋をしている人にとっては、その期間中は本当に苦しいことが多いと思います。

その時に「違う人に目を向けて見たら」とか、「思っていても仕方がないじゃない」とか言われても、気持ちを変換することは難しいものです。

人は「何か」にとても気持ちが入っている場合、その「何か」と同等かそれ以上の価値があるものが登場したり、高価値のものの存在に気がついたりしないと、なかなか関心を変えることはできません。

ましてや人への恋ともなれば、人間ゆえに、それに代わるもの(人)を探すことは大変困難と言えましょう。

従って、一方通行的な恋への、当人が満足する根本的なアドバイスはないと言ってもよいものです。(想っている人に、相手からも想われる可能性が多少なりとも現実的な観点である場合は別です)

ただ、完全に満足する(させる)ことは難しくても、心の負担を軽減する(させる)ことはできます。

それは苦しい気持ちを誰かに共感してもらうことが、まずは挙げられます。あまりに心が苦しい状態の時は、カウンセラーなとの専門家に話を聴いてもらうのが望ましいでしょう。一般の人では聴くこと自体が負担になることもあるからです。

とはいえ、専門家の中でも技量的に未熟な場合は、無味乾燥の聴き方に感じられ、特に苦しい恋愛経験のない人に話を聴いてもらうと、本当の意味で「自分の苦しみをわかってもらえていない」という「雰囲気」や「カン」のようなものを、話すほうは感じます。

では恋愛経験が豊富な人に聴いてもらえればいいのかというと、そうでもありません。

大切なのは、心の苦しみや葛藤、どうしようもない気持ちの本質を体験しているか、それがわかっている人に話を聴いてもらうことなのです。

「恋愛はたくさんしたけれど、自分からふったほうが多く、片想いなんかとしたことがないなあ・・・」とか、「報われない恋もしたよ、でもバカだったわ、私」と言うような人には、なかなか本当のところの気持ちをくみ取ってもらうのは難しいものです。

反対に「私は苦しい恋をしたことがないのでわからないけれども、どうしても叶えたいことが叶えられないとわかって、すごく悩み苦しんだ経験があるわ、あなたの気持ちはわかってあげられるとは言えないけれど、今の状態でのつらさ自体はわかる・・」と言う人には、気持ちを聴いてもらうことは可能なのです。

この場合、先述したように、重要なのは体験の中身、言い換えれば感情や気持ち、波動のようなものです。

外側の事象ともいうべき、恋とか仕事とか人間関係とかというのは、つきつめるとあまり関係のないことなのです。

しかしながら、恋愛の場合は、そのほとんどが自らの意志だけでできるものではないので(相手・対象が必要なため、一人だけの世界では完結できないこと、また恋をしようとしても自由にはできないですし、想われたくないと想っても想われる制御不能さがあります)、葛藤や迷い、悩みを生じやすくし、逆に言えばそれだけ人間的に成長させるチャンスを与えてくれるものなのです。

ゆえに、恋愛は他の事柄とは少し質が異なると考えることもできます。

とはいえ、本質は事柄・事象ではなく、その経験する時の気持ちや感情にあると言えます。そこがわかっていると、特に相談される側は相談する者の悩みや経験そのものをそっくり同じに体験している必要はないことがわかるでしょう。

さて、苦しい恋愛で、もうひとつ心を軽減させることといえば、やはり「恋の中に愛を見ようとすること」だと述べられます。

最初は自己美化でも構わないのですが、片想い・報われない恋であっても、恋をしている自分自身、恋ができるている自分そのものをすばらしいと思うことです。

ひとつ次元を上げて、自らを上から見てみる感覚です。

「ああ、こんなに悩んでいる私って、とても苦しくて大変だけど、そういう体験ができるていることはすごいことじゃない?」と考えてみるわけです。

でもやっぱりそれでも苦しいことは苦しいと思いますが、それはそれで元に戻ってもいいのです。そこからまた少し気がついた時に、別の見方をわずかでも心がけてみるのです。

そうすると、不思議なことに、(報われない)恋は恋としてつらく苦しいのですが、一方で恋している自分、恋をする対象(相手)を見つけた自分という感覚に、きらめきやときめきを感じてくるようになります。

平たくいえば、「頑張っている自分に乾杯!」「私よくやっているよ!」という、自身にエール送りたくなる感覚ですね。

その時、わずかながらでもあなたは次元が上昇し、恋で葛藤するフィールドから一歩抜けだし、恋の中に愛を見始めていることになります。

誰かに恋をすることは、好きなことへの表現であり、好きということは次元は違えど、「愛」の形を変えた表現と言えます。

それができている自分、あなたのすばらしさを思うのです。

もちろん両想いになったり、報われないことが報われる恋に最終的になったりすれば言うことはありませんが、それが難しくても、この世で恋した自分を自分で褒めてあげてもよいと思います。

ラブの色に染まったこと、染まるとどうなるのか、そしてつらく苦しく、失ってばかりように見えて、実は失うどころか自分の中にもととも存在している「愛」を知ることになります。

それは一種の天からのプレゼントといえ、それが難しい恋ほど、あとから大きな贈り物としてあなたに与えられるのです。そして、プレゼントを受け取れるかどうかも、あなたの見方次第ではあります。

報われても報われずとも、実は自動的に(あなた自身が気がつきさえすれば)天から愛の恩恵が与えられていることになっているのです。それはすごくシステマチックでさえあります。

マルセイユタロットを学ぶと、これらのことが自分の体験を通じて、必ずわかってくるようになります。すでに学習された方は、この記事が、どのカードたちのことを見て書かれているのかが一目瞭然でしょう。

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