カードとエネルギー存在の関係

タロットはある種のエネルギーや状態を、一枚一枚のカードでも表す場合があります。

私はずっとマルセイユタロットばかりを扱ってきましたので、ほかのタロットのエネルギーの質は詳しくはありませんが、おそらく根源的には似たようなところはあるでしょう。

中でもマルセイユタロットは特別なデザイン統一的に作られているため、こうした特徴が顕著に感じます。

だからヒーリングに直接使われたり、展開を出すだけ、見ているだけでも効果が出たりすることもあると考えられます。

ところでタロットは、人々が神々とか天使、あるいは仏とか菩薩などと呼ぶエネルギーも象徴しています。

ですから、そうした存在(エネルギー)とつながりたいという人にも、タロットが使えるのです。

しかし、これにはレベル(次元)や段階があると私は思っています。

たとえば、マルセイユタロットの「節制」に観音的なエネルギーを感じたとします。

そうすると、カードの「節制」を見ることで、いわゆる「観音様」のすべてとつながるのかといえば、そうではありません。

「観音様」と呼ぶエネルギーの一部が「節制」に生じると見ます。(「節制」が観音様のエネルギーの何かを象徴している)

これは表現の違いでしかないのですが、正確には、「自分の中の観音エネルギーに応じて、「節制」の観音力が表される」と言ったほうがよいでしょう。

ということは、観音様を「節制」に降ろせるかどうかは、まさに自分次第なのです。

では、自分がまったく観音的なエネルギーを持っていない場合は、その人にとっての「節制」の観音力はゼロなのかと言えば、これまたそうでもないのです。

ここが非常に大切な部分なのですが、「自分には観音エネルギーなどない(感じない)と思っている人」でも、「節制」というカードの象徴と意味を理解し始めると、次第に自分の中にある「観音」力が感応してくるのです。

つまりは、もともとすべてのエネルギー質は自分にあると見るのが、マルセイユタロットの(私の)考え方なのです。

ですから、それをカードから発見していく、(自分の中のそれと)つなげていくということになります。

「鶏か先か、卵か先か」の問題に似ていますが、自分の中の観音を「節制」に見る場合は、「節制」の理解とともに、「観音」という概念(知識と感覚)が自分に存在していることが必要です。

そして観音力(認識含む)のレベルが上がれば上がるほど、「節制」を通してつながる観音のエネルギーも拡大していくことになります。

この時「節制」は、その(観音力)拡大のツールとして使えます

観音ではなく、西洋的にたとえば天使の「ラファエル」のほうがなじんでいるということであれば、その人にとっての「節制」は、ラファエル的エネルギーとつながることも可能になります。

それから、またさらにレベルが変化してくると、今まで「節制」だと思っていたある種のエネルギーが、カードの「審判」だったり、「星」であったりしたということに気付くこともあります。

これもまたタロットカードによるエネルギー理解の次元上昇とも言えます。

今までは天使や菩薩のような存在を例として書いてきましたが、反対の悪魔などのエネルギーをカードが表現することもあります。

使い方によっては、そのような存在とエネルギー的につながることにもなります。

ですから、私の場合は、カードはどのカードも均等で中立なものとして最初から見ていくことを推奨しています。

いいカード・悪いカード、吉凶カード的なことで見ていくと、自分の中の極端なエネルギーの表現と、ある存在との歪なつなげ方を起こしかねないのです。

最初のうちの次元の低い段階では、そのような見方もほとんど問題はなく、むしろ吉的なこととつながることもあって、うれしくなることもあるでしょう。

しかしタロットを極めていくと、このような見方の危険性や意味のなさに気がついていくことになります。

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