運をよくするために。
マルセイユタロットによって、世界を再構成したり、観察を続けたりしていくと、結局、いわゆる「運」というものはないという結論に至ります。(あくまで個人的な意見です)
しかしながら、一方で、「運」というものは確実にあるとも考えられるのです。
これでは、何を言っているのかわからないですよね?
まあ、よく言われるように、何事も「ある」と思えばあり、「ない」と思えば「ない」のです。(笑)
ふざけている? いえ、私はまじめに言っています。
このことはまたいずれかの機会でお話したいと思いますし、タロットカードの「運命の輪」の説明で、受講生にはお伝えできると思います。
さて、本日の記事は「運」の話ではありますが、上記のこと(「運」のあるなしの話)とは別です。
いわば、「運」というものはあるという前提での記事になります。
(先述したように、究極的には「運」というものはありません。ただ、あるレベルでは存在し、私たちはのほとんどはそれに左右される状態にいますから、「運」を想定することは意味があるのです)
ところで私の考えるマルセイユタロットの教義でもあるのですが、私たち人間は、もともと誰しも完全な存在です。
ところが、現実的には様々な制約を、わざとなのか、無意識なのかは別として、つけている状態にいます。
そのため、ほとんどの人は、本来の状態を出せずにいると想像できます。
制約とは物理的なそれでもありますが、精神的あるいはエネルギーともいえる目に見えない部分もあると考えられます。いわゆるネガティブに思念とか、観念というものです。
これらには自分のものもありますが、他人からのものもあります。
ところで肉体・物質レベルでたとえるとわかりやすいですが、健康というのは、クリアーでバランスが取れている状態だと言えます。
極端なことを言えば、毒物を体内に入れたり、強い衝撃が加わって骨が折れたりすれば、たちまち健康は崩され、時に生命の危険さえ訪れます。
そんな激しいことは少ないとはいえ、私たちは日常的に、健康に影響を及ぼす何らかのことを受けている状況と言えます。
それを浄化するために、おそらく無意識のうちに水を飲んだり、身体を動かしたり、睡眠を取ったりしていることでしょう。
健康を維持するためには、よい環境のもとで生活していればそれほど気を遣う必要もなく、自然にしているだけでいいのかもしれませんが、今は普通の環境下では、意識的に自分から調整していく必要のある時代だとも言えます。
つまりは肉体のメンテナンスがいるということです。
これと同様に、私たちは日常的に、精神的なこと・目に見えないことにも、アンバランスになってしまう影響を受けており、それを放置できる状況ではないのだと考えられるのです。
それだけストレスが多く、そして人のストレス(または人のネガティブ思念)を受けている人も多くなってきているからです。
ということは、心や目に見えない部分でのメンテナンスもしたほうがよいということになります。
まさに心身両面整ってこその順調さなのですね。そこで「運」が登場します。
いゆわる「運が悪い」ということは、クリアーになっていない、アンバランスである、汚れがある状態ととらえられます。
一言でいえば、掃除すべき汚れがあり、メンテナンス不足を告げているわけです。
ですから、「どうも最近は運が悪いなあ・・」と感じている場合は、心身(物心)のメンテナンス・掃除を実行するとよいわけです。
実際の「掃除」が運気を上昇させるという説・書籍の類は、枚挙に暇がないほどですよね。
これはつまりは、「完全」や「自然」に戻るための調整であり、メンテナンスだということなのです。
おそらく、昔は今ほど人も多くおらず、複雑な情報にさらされる世界ではなかったため、まず浄化・メンテナンスする機会自体少ないものだったと考えられます。
またそもそも環境自体に汚れが少なく、また目に見えない部分の汚れ(穢れ)にも敏感な能力があり、それを除去したり、浄化したりする方法と場所がわかっている人が多かったのではないかと推測されます。
現代人は物理的なこと・肉体的なことは医学や機器の発達によって判明しやすくなったとはいえ、まだまだ目に見えない部分では鈍感である(あるいは、鈍感になってしまった)と言えます。
ですから、特に心や精神において、クリアにしていく作業は重要だと考えられるのです。
今、アカデミズム系・スピリチュアル系含め、様々なカウンセラーやヒーラー、技術が出ているのも、ある意味、時代の要請ではないかと感じています。
単純に言えば、「すっきりさせること」 これが運をよくする秘訣なのだということです。
逆に考えれば、あなたをすっきりさせない「それ」にこだわっている限り、運は良くならないと言えます。
もっとも、「それ」を除去したり、排除したりする方法が簡単ではありますが、ほかにも、「それ」が「存在しない」「気にならない」と思える技術や方法・見方を得ても、浄化と同じことになります。
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