痛みを和らげるテクニック。

私たちは、生きていれば、様々な「痛み」を感じます。

痛みは肉体的なこともあれば、精神的なものもあります。

どちらであれ、あまり経験したくないことですよね。

しかし、実は人にとって起こることで無駄はほとんどなく、「痛み」も必要なものです。

それは「痛み」にどのような役割があるかを冷静に考えてみるとわかります。

身体の場合、やはり痛みを感じないと、もっと大変なことになります。

例えば血を流すほど皮膚が切れていたり、骨が折れていたりするのにまったく痛みを感じないと、さらなる惨事が待っていることでしょう。

この場合「痛み」は、それ以上体を傷つけないように注意を促すことで、守っていると言えます。

心の「痛み」であっても、ハートが「傷ついた」と知らせることで、そこから自分を精神的にも保護していく態勢を取らせたり、今の相手(の態度・言葉)や状況が、自分にとって好ましくないことであるのを告げたりする役割があります。

とにかく「痛み」は守護のためのセンサーとも言えます。

しかし、やはり「痛い」のは勘弁してほしいものです。

また短時間で痛みが引くものはいいですが、結構ズキズキと長く続くものはエネルギーを消費させ、心も体も疲れ果てます。

そこで、痛みへの対処方法のひとつとして、「痛みと自分を客観視する」という方法をご紹介したいと思います。

これは「痛み」自体と、痛みを感じている自分、そして本質の自分(痛みの影響がまったくない自分)とをそれぞれ区別して、「痛み」を切り離すというテクニックです。

もちろん痛みがまったくなくなるわけではないですが、「痛み」を自分とは別物ととらえることで、少しは楽になります。

簡単に言えば、痛みを被っている自分は偽物の自分で、本物の自分はまったく傷つきも痛みも感じていないと設定するやり方です。

コツは、いったん痛み自体に集中し(たとえば痛みの発生している傷口などに意識を向ける)、それで意識とともに「痛み」を物質のように扱い、囲い込むという感じです。

それでその「痛み」を見ているもう一人の自分がいるとイメージします。この『「痛み」は本物ではない』とか、『「痛み」を感じない自分がいる』など思うのもよいでしょう。

「痛み」を囲い込み、小さく物質化(イメージで)して空中に浮かび上がらせ、そこに「痛み」だけが存在しているとしても効果があります。

実は、このテクニックは、多重性人格障害になってしまうプロセスと似ています。

自分にとって非常に苦痛であり、信じがたいことに対して、別の自分がそれを経験しているとし、違う人格を作り出すわけです。

この原理をよい方に使い、痛みを感じている自分と、まったく影響のない完全体の自分とを区別することで、痛みが和らぐという仕組みです。

中間に、「痛み」そのものを人格(人間)化したり、モノとして扱うのがひとつの鍵でもあります。

この話は単に「痛み」や「苦痛」のことだけではなく、背景には非常に深い意味が隠されているのですが、それはまたの機会にお話いたしましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top