プライドによって癒されている人がいます。
セラピーを行う前に、自分が癒されていなければならないとよく言われます。
確かにその通りの面もありますが、人間、完璧な人はいないので、セラピストでありつつも、自分も成長している段階なのだと思うことで、妙な気合いが抜け、逆に自然体で相手を癒すことができる場合もあります。
私はタロットリーダーではありますが、「セラピスト」としては標榜していませんので、セラピーのことをあまり詳しく言うつもりはありません。
ですが、癒しやセラピーということを考えたり、見つめたりすることは、立場上も機会としてよくあります。
そこで思うのは、意外に人は「癒され下手」なのだということです。
ただし「依存」と「癒されること」は別で、依存上手というか、依存で中毒になっている人は多くいると思います。しかしながら、「依存」そのものが必ずしも悪いわけではありません。
それはさておき、人を癒すことは結構できても、癒されることは苦手だったり、照れてしまったり、避けてしまったりする人は少なからずいます。
だいたいにおいて、自己評価が厳しい人、または素直ではない人、人生は単純ではないと思い込んでいる(難しく考えがちの)人などにその傾向は強いように思います。
また、男性や男性性のウェートが高い女性の人でも、その特徴はあるように感じます。
これには奥底に「プライド」というものが隠されているでしょう。プライドが破壊されことを何よりも恐れているのです。
それは信じている(きた)自己のアイデンティティ、拠り所を失うことになるからです。極端にいえば、生きている意味さえ喪失しかねないものです。
ここで重要なことを言いますが、「そんなものは手放してしまえばよい」と気楽に言う人もいるかもしれませんが、その自分を守るプライドやプログラムといったものは、それ自身がもはやその人にとって「癒し」(厳密に言えば偽の癒しで快楽)にもなっているのです。
「プライドによって癒されている」なんてことがあるかと思うでしょうが、あるのです。
だからこそ、真の癒し・溶融とも表現できるセラピーの受け入れを拒否します。
と言うより、むしろ拒否している自覚はないので、「自分は癒されているので必要はない、だから人に癒しを与えるほうを選択する」となる場合もあるわけです。
この幻想の癒しと癒着したプライド崩させるには、自己の全部をゆだねられるほどの信頼できる相手や場といったものが必要です。
まさに「ゆだねる」ということがキーポイント・状態であり、ゆだねる対象は必ずしも人ではなくても、大自然や宇宙というものを感じることができるのならば、それは同じことになります。
つまりは全面降伏(笑)するくらいの、自分よりも大きな存在が実感できればいいのです。
ただ、自分より大きな存在となると、悪意のある者が意識的に精神をコントロールして、相手より大きく見せて自分の支配下に治めようとすることもあります。
これがマルセイユタロットでいえば、「悪魔」の状態です。
本当のいい意味でのプライドの破壊と真の誇りの獲得、そして癒しの受容は、「神の家」と「星」で象徴されます。
実はあまり知られていませんが、女性性の中には、究極の癒しのパワーが内在しています。
女性は自身の女性性を認識することで、男性は自分と女性に内在する女性性を知ることで癒しの流入が起こり、さらなる自己の解放に導かれるのです。
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