睡眠時の夢と現実のヒント。

物事をとらえるのには、二元の見方をするとスピリチュアル的にも現実的にも便利で、視点が広がります。

そして、今日は睡眠の二元論を考えてみたいと思います。

睡眠の二元て何?・・(笑)と思われる方もいらっしゃるでしょうが、結構まじめな話です。

二元というのは、要するに、ひとつを二つのモノ(視点)で見ることです。大きなたとえでは、「世界」を「陰・陽」ふたつで見みるというような方法ですね。

この発想は、占いやスピリチュアルでは実は当たり前なのですが、意外に現実的にも知らず知らず採用されている見方なのです。

それはさておき、睡眠です。

睡眠は、体の活動的なものの停止と言えますから、誰でもわかりますが、活動に対して休息・充電的な二元で見ることができます。

エネルギーの消費と蓄積と考えることもできますね。また、たいてい人は昼に活動して、夜に眠りますから、これも昼夜視点の二元と言えます。

では精神的にはどうでしょうか? 眠るということはまさに眠ってしまうわけで、現実の周囲の状況は見えませんし、自覚できません。

ということは、起きている時が覚醒かつ意識(自覚)的であり、寝ている時は文字通り、睡眠無意識(無自覚)状態にあると言えます。

ところが、寝ていても私たちは時折、夢を見ています。実は夢は誰でも見ていて、それを記憶していないだけという説もあります。

ということは、睡眠(状態)はまったくの「無」「停止」といわけではなく、逆に何らかの「覚醒」状態であると言えなくもないのです。

さあ、おかしくなってきましたね。

寝ているのに覚醒している、 ん? ならば、起きている時は睡眠状態のこともあるのでは・・・!?

ここにスピリチュアル的な視点変換・世界逆転のヒントがあります。マルセイユタロットでいえば「吊るし」のカードに象徴されます。

さて、その寝ている時に見る「夢」ですが、夢にも楽しいものと、つらかったり、恐かったりする悪夢があります。

しかも悪夢にはさらに、まったく非現実的なものと、自分がかつて経験したことが題材になっている、いわば恐怖や不安シーンの再現というような悪夢があります。

なんと、何重にも「二元」なのですね。

ここでちょっと、面白いことを言いますと、自己の体験に基づく(シーン再現のような)悪夢には、これまた見る理由を二元的に考えてみることが可能です。

ひとつは記憶の整理で、そしてもうひとつはトラウマや抑圧している心理の浄化です。

さらにこれに、「起きている時」と「寝ている時」の二元の見方を入れると、理由を強化することができます。

悪夢といえど、結局は寝ている時の「夢」なので、現実に目が覚めると、「ああ、夢だったのか、良かった」と人は安堵します。

つまり、夢は現実ではないという認識が働き、「あの恐いことはもう済んだことなのだ、今は現実ではないのだ」と思い直すことができます。これは記憶のリセットであり、整理なのです。

そして夢に出てきたことで、それをイメージで明確なものとして自分が認識できたことになります。

さらに言えば、それは自分が起床する(目が覚める)ことで、本当に「夢なのだ」と自覚し、「明確」なものになっているのです。

人は奥底で抑圧しているもの、混沌としていて要因や原因のわからないもの、目に見えず自覚できないものには不安を覚え、恐怖します

ところが、認識できたもの、理由がわかったものは自分がコントロールできる支配下に収まり、その瞬間、データは変換され、いわば浄化されるようになります

従って、嫌だったり・あせったりしたかつての経験の「記憶」を、悪夢によって蘇らせ、再び現実に目覚める(普通に起床する)ことで、その浄化を自ら図っていると言えるのです。

何度も出てくるのは、それだけその人にとっては無意識下では重要な記憶である(あった)ということですね。

ついでに言いますと、起床した時に、「やれやれ夢でよかったよ」と思うだけではなく、その記憶と夢で再生できた(させた)自分の修復機能・浄化機能に感謝すると、さらに浄化は加速されるでしょう。

嫌な記憶自体も、時間が過ぎて当事者でなくなっていれば、ドキドキした楽しさだけが味わえるものです。

こここのところは、グノーシス的には極めて重要で、現実での起きていながらの私たちの意識も(人生そのものと言ってもよいです)、実は睡眠と覚醒を繰り返しているという、私たちの状況を一面象徴しているのです。

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