女性・男性の見方、認識と行動の違い
世の多くの男性は、占いや精神世界的なことは、まやかし、迷信、くだらないものとして関心を示しません。
タロットを学習したいという女性の方でも、ご主人や男性のパートナーにはそのことを言いにくい、話しづらいという人さえいます。
私も男性ですから、男性の方々の気持ちや考え方はわかります。
そこで、女性と男性の考え方と行動の違いを、極端なたとえ話で述べてみたいと思います。まあ、とはいえ、私が男性なので、本当の意味での女性の気持ちはわからないことは付け加えておきますが。(苦笑)
ただここで言う「女性」「男性」とは、必ずしも実際の性別ではなく、そういう「傾向」「性質」と考えていただければいいかと思います。
ですから、自分が女性でも男性になる人もいますし、その逆もあります。
さて、もし自分が誰かから、
『右2回、左に3回回って「あ・うん」と叫んだら運がよくなる』
と聞いたとしましょう。
おそらく誰もが最初は変な話・・と一瞬思うでしょう。けれども、ここから女性と男性では違ってきます。
女性(的な人)は、「運がよくなるなら、やってみようかしら☆」と思い、実際に試してみる人が少なくないと想像します。特に何人か一緒になれば、行動に移す確率は高まります。
逆に男性は、いきなりは行動しません。そこに行動するための「根拠」「論理」を求めるからです。
男性はこの場合、「その言った人は誰なのか?権威やきちんと研究している人なのか?」と考えたり、「右2回、左3回というのは回転率やエネルギーの効果として何か意味があるのか?」とか、「ほかの回数ではダメなのか」「あ・うんといえば、あ・うんの呼吸で神社の狛犬の象徴でもあるな、何かきっと関係するのだろう・・」とこだわったりするのです。(笑)
つまり、現代の科学的な目線であろうが、神秘主義・精神世界主義的な考え方だろうが、やはりそこに論拠・結果につながる論理を求めるわけです。
その論拠が、一般的な科学なのか、精神的な見方でのものなのかの違いなだけです。(この違いで、精神世界を信じるか信じないかの違いになっていることが男性では多いです)
また見方を変えれば、結果よりも、その結果に至るプロセス・導き方にもウェートを置いていると言えましょう。
だから、負けたりダメだったり、時には死ぬことがあるかもしれないことであったりしても、プライドや意味が見い出せれば行動に移すのが男性です。
女性から見れば、「そんなことしても結果が無意味(獲得する実がないように見えるもの)なのに・・」と、バカらしいとさえ思うことを男性は必死で行うことがあります。
プライドや誇りは精神的なものなのに、男性は普段は精神的なことをあやふやなものとして否定しつつ、結局は精神論になる(精神的な意味が自分であると思えば、死ぬまで行動するようなこと・・)のが多いのも男性です。
反対に言えば、男性はそのことに意義・意味・誇りがないものは行動しないことにもなります。
しかしながら、女性は過程ではなく、結果(果実)を見ます。
自分にとってよいものか悪いものか、幸せをもたらすものかそうでないものか、気持ちのよいものかそうでないものか、こういう基準によって、とにかくやってみて結果を見ようとします。
結果からプロセスが始まると言ってもよいでしょう。男性とは逆です。
こう書くと、まるで女性は思考せずに直感だけで動いているのかと思われがちですが、一面ではそうなのですが、実は本当に知性のあるのは女性側です。
ただし、その知性が無自覚な人が多いということと、本当の知性は女神性にあるので、なかなか自覚や表現がしにくいという点があります。ただ男性にはなかなか自力では到達できない境地です。
上記の例でいえば、男性だと、分析・研究したうえで、「なるほど5回という左右の回転と、あ・うんという言葉の波動が、場の異質なエネルギーの合一を促し、自分がそのエネルギーと同調することで調和をもたらし、運という不確かなエネルギーと場の状態を安定に導く作用があるのか」となり、それを実行するようになります。
そしてこれを理論化し、ほかの人に説明・普及させようとします。
一度根拠をもって信用すると、絶対の誇りとして信念化され、誰がなんと言っても揺るがないほどの強固なものになることもあります。
女性は論拠よりも、実際に行動してみて効果を見るわけですが、その過程において直感と直観を使い、実は最初からそれが自分や周囲に調和をもたらすものであることを認識して行動しています。
女性は何も考えていないわけではなく、精神世界的には直感やインスピレーションを受け取っており、その意味ではプロセスも非常に重要視しています。それが男性には、あるいは女性でも自覚できず、わからないだけです。
男性が思考を使って効果の理由を導き出したのに対して、女性は直接的に瞬間的にその論拠を思考レベルではなく、直感(もしくは直観)レベルで、頭ではなく感情や感覚で理由を悟ります。
女性のほうが別の認知高速処理装置を有していると言ってもいいのです。ですから本当は知性的なのです。
従って、それは現実世界での言葉では表現しにくいもので、また時には個別性(普遍的ではないもの)を持ちます。それは感覚や感情が人それぞれの表現を持つからです。
しかしながら、その直感レベルの次元が低いと(高いものは「直観」になります)、思考レベルよりも下がり、何も考えない鵜呑みの迷信に近くなります。
さらには女性は受動性と共鳴性を持ちますので、自分の響きを他者にも響かせる表現があり、自分が感じたものを口コミで知らせるだけではなく、無意識レベルで自分の感覚を言葉ではなく、感情・雰囲気のようなもので伝えていく(伝わっていく)力があり、それによって広く水の波紋のように伝播していく状況も表します。
タロットにも表現されている四大元素的に言えば、男性は風と地、女性は地と水で「火」である行動を示すともいえ、また男性は風と土の間に「火」(直観)を、女性は地と水の間に「火」を持つと言ってもよいでしょう。
ということで、どちらがよくてどちらが悪いというものでもなく、単に物事をとらえる見方・あり方の装置の違いみたいなものなのです。
女性はやは今述べた女性的なとらえ方をしがちですし、男性は男性的な見方をしがちですが、必ずしも実際の性別通りではなく、置かれている状況、もともとの気質などによっても変化します。
大切なのは違いを認め合い、一方が絶対と押しつけるのではなく、ともに尊重して補い合うということです。なぜならば、これが世界・宇宙・森羅万象の二極の表現方法だからです。
女性は直感での把握が優れていますが、自分の波動やレベルが下がっていると、先ほど言ったように迷信レベルに落ちますので、ここに男性の分析によって普遍的な思考レベルものまで高める必要があります。
逆に男性は凝り固まらず、もっと柔軟性を持ち、真の宇宙的叡智に到達するために、は直感力・女性性を自分に許可することが重要です。
マルセイユタロットというのは、タロットなので一見女性的ですが、その実、論理的・男性的でもあり、この両方のバランスを見るツールでもあるのです。
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