感情発生のパターンを変えるふたつの方法
よく「感情をコントロールしましょう」とか、「感情的になってはいけません」と言われることがあります。
これがいいのか悪いのかは実は難しい質問です。どちらとも言えないものだからです。社会から見るか個人から見るかでも話は違ってきます。
ただ、感情を起こさないようにしたり、自由に感情を選べたりするような「コントロール」はまず不可能だと思ったほうがよいでしょう。
起きる感情そのものを操ろうとするのではなく、感情的になるあなたの反応のもとの価値基準を変えるほうが早道です。
腹が立ったり、悲しんだりする感情は誰でも人間であるならばもっているものであり、場面によって必ず生じるものです。
しかし、人によって怒る場面が違うように、さらに言えば、自分にとっても楽しかったり辛かったりするシーンが違うように、感情の生じる内部基準が異なれば、感情の発生パターンも変更していくことが可能です。
これもよく言われるように、「広い心を持てば穏やかになる」というのはそういうことなのです。
「狭い心」と表現される時代の自分の価値基準と、「広い心」になったそれとでは自分の物事への受け止め方も変化し、感情発生の反応パターンが変わるというわけです。
この反応パターンを変えるためのもっとも有効な方法が、学びと経験です。
学習により、自分の価値基準が変わり、「あれは悪いことと思っていたけれど、いいこともあるんだ」と気がついたり、「そもそも、いい・悪いもないな」となったり、知識によってこれまでとは違った心境を得ることができます。
ほかにも「怒るということはアドレナリンが出て興奮状態になって、いわばドラッグをやっていることと同じなんだ、心身によくないな」と知り、今までより冷静な反応ができるるようになったり、「ここで悲しくなるのは、私の成育歴から来る今の疑似体験によるものだったんだ」とわかって、もう無闇に悲しくならなくなったり・・・と、学び・学習によって感情発生パターンは変わります。
学びというのは、理屈ぽくなってかえって感情や心をないがしろにする装置ではないか(感情のセンサーをにぶらせる)と疑う人もいますが、要は使いようであって、学びと知識が自己解放につながればいいわけです。
思考がひとつよりも、たくさんできたほうが、それだけ自由に選択できるようになるからです。
さてもうひとつの「経験」のほうですが、これもとても重要です。
人はイメージや想像で経験していないことも精神世界で味わうことが可能ですが、残念ながら物質のある現実に生きている限り、それは生身の実体験にはかないません。(ただある方法によって、通常のイメージでの体験を超えたものを味わうことができます。これがタロットの秘密のひとつです)
簡単にいえばリアリティに欠けるわけです。「想像と違った」と実体験のあとによく人がいうのも、そのためです。
ではその違い、リアリティに欠けるとはどういうことかと言えば、「五感」で感じるトータルの感覚の違いだと述べることができます。頭の想像だけでは、五感で感じるそれとは情報量のレベルが違います。
タロットの四大元素的にたとえると、風をメインとした世界と、四大をまんべんなく感じる世界との違いであり、また次元の違いだとも言えます。
話が少しそれましたが、結局、実体験があるとリアリティを感じるので、「感情」的に有利(感情を味わいやすい、想像しやすい)なのです。
言い方を変えれば、人の立場や気持ちがわかる(自分の経験によって)ということです。
病気で苦しんだ人には、やはり同じような境遇の人の気持ちがわかり、特に同じ病気の人だったらもっとよくわかるでしょう。
サラリーマン経験があるとサラリーマンの感覚を身近に感じ、フリーター体験がある人はフリーターの立場がよくわかり、起業している人には自営の人の思いも感じることができます。
子育てをした母親であれば、やはり同じ育児をする親御さんの気持ちや状況がわかり、家族を持つ人には夫婦関係・親子関係の問題がリアルに響きます。
こうして自分の経験によって、人の気持ちを自分のこととして(半当事者のように)感じることが、よりできるようになるのです。
そうすると、無闇に相手(同じような経験をした人)を批判したり、怒ったりするようなこともありませんし、相手の喜びや悲しみもすごくよくわかるようになります。
これは経験により、自分の感情発生のパターンが変わっているのだと言ってもいいのです。
そしてここが重要なのですが、先述したように理性や知識によって感情に支配されずに済みますし、逆に(人の)感情を知り、(自分に)味わうという感情そのものにフォーカスする方法で、これも同様に感情を自分にとってよきものにすることができるのです。
前者が知識・学びであり、後者が実体験による感情の会得です。
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