均衡を破って飛翔する。

平穏な状態というのは望ましいことではありますが、それが行き過ぎると何も刺激や動きのない停止膠着状態となることもあります。

一番いいのは、周りの状況は動いていても、常に平静な内面で対応できることでしょう。言い方を変えれば、安定を求めるのでなく、すべては変転していくことを知りながら、その状況を心から楽しめるというイメージです。

ただ、なかなかそういった境地にまでなるのは難しいと言えます。

そこで、まずは世の中も自分も、「同じ状況が永遠に続くことはない」と認識することが大事だと思えます。

つまり、安定を求める心をなくすということに近いです。けれども、人間の心理としては安心や安全、すなわち安定を欲するのは致仕方のないことです。

しかし、よく自分あるいは人の人生でも、振り返ってみればずっと安定が続くというようなことはなく、必ず、何か問題または変化がやってくることに気がつきます。

それが環境の変化のこともあれば、心境の変化ということもあります。ただ、だいたいは心境の変化は環境の変化に伴うことが大きいです。

こうして見ると、私たちは心を変えるために環境を変えさせられていると言うこともできます。

固定や安定を望めば望むほど、いつか環境が自分を変えてしまうことに恐れを抱くことになり、しがみついたエネルギーの分だけ、そこからはがされた時の衝撃度合いは強烈なものがあると想像できます。

いわば、同じものを望むと逆にそれから変えさせられる運命が回ってくるということですし、しがみつけばつくほど、環境の変化へのショックも大きいということです。(特に死ぬ時にしがみついていれば、とてつもない思念が残るでしょう。それが残留エネルギーとなって心霊化することがあると考えられます)

自分の霊的な発展や成長、意識の拡大という点から見ると、最初のほうにも記したように、環境が変化したり激変したりしても、心境は穏やかであったり、楽しめたりするようになるのが個人の進化とも言えます。

いろいなことが起こり、変化していくのも、もしかするとそうした意識の成長のために起こっているのかもしれませんし、もっと言えば、自分で起こしているとも考えられます。

ですから人は何かに満足しても、また次を求め、「もっと刺激がほしい」という気持ちが生じるのだと推測されます。

これはマルセイユタロットでいえば、「悪魔」のエネルギーと結びつきますが、結局そのエネルギー・欲求というのも自己成長のためと思えば、「悪魔」の役割の一面も見えてきます。

ということで、何か変に安定してしまっている、型にはまり過ぎていると感じていたら、変革の行動を起こす時に来ていると言えます。

あなたが高いレベルに達していない限り、遅かれ早かれ、環境のほうがあなたに変化を起こさせるからです。

タロットでいえば、「運命の輪」の回転を回すということになります。

その方法は時間を早める(決断のスピードを速める)、誰かに動かしてもらう(セミナー参加や学び受けたりして人の刺激を受ける)、ふたつの極のどちらかにあえて意識を傾けるなどの方法があります。

最後の「どちらかの極に傾ける」とは、簡単に言えば「何かを徹底的にすること」で、言ってみれば「集中」に近いですが、その内容自体はよいことだけとは限りません。前にも書きましたが、堕落方向と思われることへの集中でも「運命の輪」の回転は速くなることがあるのです。

また情報や技術・さらには感情においても、受けて入ればかりの人は、逆方向の、外に出す、実践する、つまり何かしらの形でアウトプットすることによって、回転が速くなる場合がありす。

ここで挙げているのは、積極的な不均衡推移への意図であり、実は宇宙はどの局面でもバランスが取られているものではありますが、あえて今の均衡を崩すことで、さらに大きな均衡を自分に呼ぶという方法なのです。

本来は放置していても、生きている限り、その作業は勝手に進められるものですが、自分の意志を働かせることで、そのスピードを加速させることになり、意識の拡大も早くなります。その分、外で起こることを穏やかに楽しめる心境にも、早く近づくことになるのです。

この世の中は結構ものすごいアトラクションにあふれているワンダーランドなので、何も考えずに惰性で生きていても楽しめるものですが、それは子供の感覚に過ぎませんし、まさに幼いレベルです。

意識的な生活を心がけることで、幼子が親にアトラクションに乗せられて喜んでいるレベルの世界から、さらに別の自分で楽しめるアトラクションの世界へと飛翔する可能性が生まれるのです。

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