右脳的・左脳的に見るタロット
タロットカードの読み方(リーディング)は、左脳的なものと右脳的なものがあるように思います。
まあ、この一般に信じられている左脳的・右脳的というのも、最近ではどうかという疑念がないわけではないのですが、一応、ここでは左脳が論理的・言語的、右脳が直感的・感覚的という見方をしておきます。
タロットカードはほぼ絵柄ですから、普通は右脳的なイメージがしますが、実は結構左脳的に読んでいる人が多いのではないかと想像しています。(後述しますが、それは悪いことではありません)
というのも、結局、タロットカードを読もうとすれば、カードの意味を覚えることになるからです。
意味を覚えずに見ている人もいるとは思いますが、プロで対人的にリーディングするとなれば、意味なくして(覚えずして)使うことは難しいでしょう。
どの道、対人リーディングで使い続けるうちに、たとえば「このカードを引けば、この意味になることが多い」ということが出て、カードの意味づけがなされます。
すると、意味というのは言葉で覚えていますから、言語的な左脳が働いていると見ることができるのです。
ただ、これがあまりにも過剰になると、いわゆる記号やこじつけのようなことになり、非常に単純なリーディングになってしまいます。
右脳として絵で何かを感覚的にとらえてはいても、左脳でいつもの意味に変換・意味づけされたルートを瞬時に辿り、ワンパターンの読み方になってしまうということですね。
これは人間の性(さが)・機能として、仕方ないところもあると思います。できるだけ効率よく、エネルギーを使わず、普段はオートマチックに生きるよう体と脳の仕組みができているからです。
一度固定した左脳的なタロットの読み方は日常となり、楽にコントロールすることができます。
道で言えば、いつも決まったルートを通るようなものです。「必ずそうなる」という結果も見えているので、選択もオートマチックで、無意識に近くなるでしょう。
しかしながら、せっかくタロットを使っているのですから、感覚的・直感的なものも作用させたほうが広がりや意識的なジャンプの度合いでも違ってきます。
いつもは思いもよらない発想やアイデアが起こる頻度も増えます。
ですから、一度は安定した左脳的な読み方を確保しても(これは悪いことではなく、ひとつの土台がないと読むこと自体迷ってしまうことがあります)、一度それを無視し、素直に「感じてみる」という、初心に戻るようなことを時々行う作業がいります。
自分だけでは限界がありますから、他人(タロットを知らない人ならばなおいいです)と一緒にカードを眺め、どう感じたかを述べ合います。
またいろいろな展開ケースを見てリーディング回答に注目したり、読んだりするのでなく、感じ方を拡大させてみることを行ってみます。
細かく見るのでなく、全体的に瞬間的に見る、展開そのものを絵として記憶してみるということもよいですね。
それから、カードの絵柄の中に自分が入ったかのように、味わってみるというのも右脳的にはよいです。(ただ、これはやり過ぎないように注意してください)
大切なのは、カードから感じたことを否定しないことです。
「いや、これは覚えた意味と違うでしょ・・」「アレ?こんなこと思うのはこじつけかな?」と心に浮かんだら、それは放置しておき、評価や判断は下さないようにします。
感覚をただ受け入れる、感じている自分を許すという気持ちでやってみましょう。
感覚ですから、もちろんテーマによって、日や時間によってカードごとに違ってきます。たとえ同じ展開が出ても、感じ方は異なります。
正解とか不正解の世界にいるのではなく、また時間的でもないのでそれもこだわりません。過去・現在・未来など時間軸のあるスプレッド(展開法)においても、それを無視することは右脳的には重要です。
こうした右脳的なものも発達させたうえで、左脳的に言葉で説明できるよう落とし込んだり、整理したり、実際情報と適合させたり、ストーリーを組み上げたりして、他人か自分かで納得できる論理性を持たせます。
つまり、タロットは、右脳と左脳をつなぐ(統合する)、優れたツールになるのです。
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