「太陽」、その二人。
マルセイユタロット(に限らずでずが)には「太陽」というカードがあります。
数の順番で隣の「月」や「審判」に比べても「太陽」はわかりやすく、親しみやすい絵柄で、読むことも容易なように思われています。
しかし、実はどのカードも奥が深く、また逆にシンプルに考えることもできます。
「太陽」のカードは一見簡単そうに見えながらも、結構複雑なものを含んでおり、タロットを理解すればするほど、実はなかなか不可解なところも出てくるカードだと思います。
マルセイユタロットにおける「太陽」の二人組(二人の人物)は、同じように見えていても、厳密には明かな違いもあり、その仕草に大きな秘密があります。
また同時に同じ(人物の)ように見えることも、それはそれで意味があるのです。
そしてさんさんと輝く太陽、これには顔が描かれており、いわゆる私たちが普通に見る天体の太陽とは異なるのではないかという推測が成り立つわけですが、それもまた然りというところでしょう。
おそらく、ある境地に達したり、ある霊的な境界を越えたりすると、ここに描かれているシーンは真実に見えてくると思います。
逆に言えば、その段階に達していなかったり、そういった特種な境地や世界に行っていなかったりすると、なかなか絵柄の象徴の本当の意味は悟りにくいのではないと推察されます。
もし簡単にこの「太陽」の感覚を得たいと思えば、それは亡くなった時に体験できるのではないか考えられます。
さて、一方、このカードにおける二人の人物の雰囲気から、パートナーやペア・カップルとなる二人組が想像されます。
ただ、この二人組、確かに現実的な意味での友人や仲間、恋人・夫婦などを表すこともありますが、両者は心や魂のつながりだと見ると、一種の特別な関係の二人だと解釈することもできます。
いわゆる「ソウルメイト」と呼ばれる関係もそうかもしれません。
実際にもこのカードを引く時、普通の恋愛関係の二人というより、同志的なつながりや、一度も会ったことがなかったのに知り合って最初からなじみがある者同士だったり、会う度に何かを想い出す関係であったりする者同士を指すことがあります。
また、まさに自分を映し出してくれる相手として存在する関係という場合もあります。
「月」のカードにも自分が投影されるような相手との関係を示す場合がありますが、「太陽」と「月」の違いは、前者が比較的ポジティブな似たものを見る同士であるのに対し、後者の「月」は、シャドーや影の部分を映し出したり、あぶり出したりする関係同士であるということが挙げられます。
ここで「ソウルメイト」について少しふれておきますと、魂の伴侶とか、同一体の片割れであるとか、前世からの深い因縁のある関係同士だとか、ロマンチックな意味での「ソウルメイト」もあるかもしれませんが、実際は、まさに自分のレベルに応じた、いろいろな意味で似た者同士か相補的(相反を埋め合うような)な関係が「ソウルメイト」と言えることが多い気がします。
ですから、この概念に従えば、ソウルメイトは人生で複数現れることにもなりますし、その時々によって(自分の成長やタイミングによって)変わるとも言えます。
それでも、やはり、自分の人生において特別な関係であるという人は、同性であれ異性であれ、たいていは存在します。
私はだいたい同性・異性で、普通にそういう人が三人ずつくらい、どなたにおいてもいらっしゃるのではないかと考えています。
もしまだそれくらいの人数の人がいないという場合は、これから現れる可能性があります。
こうしたことも、「太陽」のカードに接していると、伝わってくるものがあるのです。
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