メリハリをつける重要性
何かの記事で書かれていましたが、「日本人は時間にとても正確で厳しいけれども、その一方で非常にルーズでもある」との指摘を見ました。
後者の「(時間に)ルーズである」ってどういうこと? と疑問に思うかもしれませんが、特に仕事での終わりのことを考えるとイメージできると思います。
私たち日本人は、始まりや開始時は極めて正確なのですが、終業時間は決まっていても、ほとんどの企業や役所において、実際の社員たちがその時間に仕事を終えることは少ないでしょう。
言ってみれば定時があっても、「残業ありき」ということです。これは外国人から見ると、不思議なことのようですし、考えてみればもっともな話です。ほとんど定時で終わらないのなら、ある意味、詐欺かもしれません。まあ、別に強制はしていないよ、という建前なのでしょうが。
思うに日本人と言いますか、ちょっとまじめに考えすぎてしまう傾向の人は、メリハリというものがつけにくいのではないかと思っています。
それには完全主義の部分があったり、プライドがあったり、人からどう思われるかを気にする部分があったりと、いろいろな理由があるのですが、理由はともかくも、現象として「メリハリをつけにくい」「割り切ることができにくい」という人が多いのではないかと想像しています。
実は私自身も、そういう部分をもっている(いた)からです。
よく「やる時はやる!」と気合いを入れて頑張る人がいたり、そもそもこの言葉がポジティブに解釈され、積極的に前進する場面で使用されたりします。
しかし逆に、「やらない時(やらなくていい時)は、やらない」という言葉はあまり聞きません。せいぜい、「休む時は休む」くらいでしょうか。
世間一般では、やたらと仕事を増やしたり、増加していくことがよいことだと思われがちなところがあります。
もちろん仕事が増えれば経営的には利益につながりますし、利益が上がれば社員の給料に反映されますので、仕事量が増えることはよいことでもあります。
が、仕事量の増加が、「ただ増やすだけがよい」「忙しい状態こそが自分がしっかり働いていることになる」となっていたり、「周囲の目からよくやっていると見られたりする」からという理由になっていたりする場合があるのです。
いわば本当の目的が消えて、手段や現象そのものが目的になっているということですね。言い換えれば、「忙しい」が自己評価の象徴になっているのです。
象徴というものはタロットも象徴ツールですから、象徴ツールによって象徴をはずしたり、変化させたりすることができます。
こうしてタロットにを使って自分について冷静になってきますと、社会から私たちは結構縛られていたり、洗脳させられたりしていることに気がつきます。
メリハリのない生活を強いられ、あるいは、そのような状態に無意識のうちになってしまい、自分を苦しめることになるのです。
昔のムラ社会の場合、稲作農業が中心でしたから、種まきや収穫、農閑期といったそれぞれのメリハリ時期がありました。同時に、それを精神世界でも意識・体験するために、お祭りごとも催され、メリハリ感が周期として誰しも味わえるように機能していました。
現代社会はこうしたことがなくなり、いつも「やらされている」感が漂う世界になっていると言えます。
ただそれも人の評価や会社の評価のために仕方ないと思うかもしれませんが、よくよく本質的に考えみれば、誰のために働き、誰のために生きているのかとなり、それを考えると割り切った行動や思考もできてくると思います。
たとえば仕事を生き甲斐にしたり、充実させたりすることは多くの時間を仕事に費やすので重要ではありますが、それがすべてではありません。同じく、人間関係もです。
その人と絶対に一生つきあって行かなければないらないのか、改めて考えてみます。
関係が切れたからといって、あなたが即死んだり、これから不幸が続いたりするわけではないでしょう。その人との関係のために、あなたは生まれてきたのですか?ということです。
※(スピリチュアル的には「そうである(誰かと関係するために生まれきた)」と言うこともできるのですが、ただそれが目的の全部ではないでしょう)
メリハリをつけるということは、何かを終わらせたり、削ぎ落としたり、合理的にする決意をすることでもあります。
それができない時は、少しずつ自然崩壊が進み、そのゆっくりさで、あなたは苦しみますし、自分の思ってもみなかった方向での終わりと始まりを迎えることになって、その分衝撃も大きくなります。
自分の人生を自分のものとしてコントロールしていくためには、周りにエネルギーや判断を委託させず、自分が決意し、判断することです。
最初は周りから反感を買ったり、よくない思いをしたりするかもしませんが、それはあなたを牢獄に閉じこめておくための看守たちの抵抗なのです。
自分に「力」を取り戻していくと、「運命の輪」を超えることはタロットでも語られています。
その第一歩が、周りに流されず、自らがメリハリをつけることにあるのです。
調和することと、人や物事に無理矢理合わすことは違います。外の調和は内なる調和から始まるのです。
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