夢の実現のために。
現在は自己実現や夢の達成に向けて、様々な情報・方法が書籍やインターネットであふれ、セミナーなどでもたくさんの人から伝えられているところです。
そう思うと、現代ほど実は自分の夢を叶えやすい時代はないのかもしれません。
一方で、夢を叶えずとも、そこそこよい生活や、いろろいなモノに囲まれて快適な生活も可能ですので、普通に暮らすことで満足する人も多く、あえて夢を持ったり、叶えたりすることもしなくてもよい時代だと言うこともできます。
さらには、情報があまりに多いので、「どうすればうまく行くか?」ということ以上に、「どうすればうまく行かなくなるか」「こうすれば、こういう(うまく行かない)結果が待っている」ということに、昔よりも知ってしまう確率が高くなりました。
自分の抱いていた夢を叶えたとしても、ある程度予想もできてしまい、意欲をなくすという事態なのですね。
また、自分の希望することは結局、今の自分では現実的には不可能な「夢物語、絵空事」だと、情報としてわかってしまう(悟ってしまう)ということもあるかもしれません。
とはいえ、これらも現時点での今の自分の持っている資源、環境、能力によるもので、それは永遠に固定されるわけではないですから、早とちりと言うか、勝手に自分で思い込んでしまっているに過ぎないということもできます。
それでも、夢は夢のままで留めようとしてしまうのは、現代社会の情報の多さということが、一因としてあるように思います。
一見、情報が多いということはよいことのように思えますが、何事もプラスがあればマイナスもありです。
情報が多いばかりに、先述したように、自分ができないこと、やらないことの言い訳・理由にもその情報を使えることが可能になるのです。
自分の行動に向けた有益な情報として採り入れることもできれば、逆にやりたくないこと、やらないことへの言い訳としても利用されてしまうのが情報です。
それも数多くの情報があれば、言い訳にチョイスできる情報も、それこそ無限にあると言ってもいいくらいです。
頭が良かったり(頭が回ったり)、あれこれと想像をよくする人は、かえって行動しない言い訳をうまく選んでしまうことをしがちなところがあります。
それから夢を叶えるのでも、いきなり思っている夢の全部・全容を現実化しようとしても、大変です。あまりに実際と夢との距離がかけ離れている場合、それだけ近づくためには労力がいります。
それで途中であきらめてしまうこともあるわけです。ですから実現のためのステップを刻んで行けばよいのですが、このことは半ば常識的な技術ですので、今や誰でもわかると言えばわかる方法です。
しかし大切なのは、夢と細かく刻んだステップとの質の共有性と、夢へと続く連関性の意味づけです。
たとえば歌手になりたいという人が、まずは地域の駅前でパフォーマンスするという人もいるでしょう。これは最初は地域や路上からでも、次第に舞台を大きく、確かなところへ実現して行くいう「ステップ」です。
このことは誰でもわかると思います。ただ、ここで何でもかでも路上で歌を歌えばいいというのではなく、自分の実現したい夢の質に応じた歌い方や選曲の方法も意識するとよいということです。
それは例えば、他人の歌ではなく、自分の作詞作曲した歌ということもあるでしょうし、いきなりそれでは聴いてもらえないと思うのならば、自分が将来表現したいと思う(のに近い)既成の曲を歌うというのもよいでしょう。
さらには、夢へと続く連関性というのは、路上でパフォーマンスするばかりではなく、歌以外のアルバイトや経験をしていても、常にそれが将来の自分の夢とつながっているという意識を持つことにあります。
「この経験を歌詞で書く」とか、「このアルバイトのお金が自分の楽器につながっている」とか、そういうことを漠然とではなく、一本のラインが太くつながっているようにイメージするということですね。
そうすれば、表現は違っていても、夢が形を変えて現在出てきていることになるのです。自分の人生は意識付けによって、ストーリーが変わってきます。
あなたの夢も、自分の人生において、過去・現在・未来でつながる物語となるように、演出して行けばよいのです。
そして、先述したように、現代では「やらない言い訳を探す」には、ものすごく便利な時代になっています(苦笑)ので、そらちに意識を向けるのではなく、達成できる理由、行動できる情報を仕入れていく方に意識づけて行くとよいでしょう。
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