イメージと運動の同時作業
普段(日常)の生活と、そうではない特別な生活(非日常)というものが人間、誰でもあります。
これは環境の違いによると思われるかもしれませんが、意外に環境が変わったからと言って、日常と非日常が区別されるものではありません。
たとえば、引っ越ししてすぐはまだその土地になじんでいないので、日常的な過ごし方をしていても非日常と言えるかもしれませんし、反対にそこに慣れてしまえば、もう日常でしょう。
ということは、その区分けは、結局、私たちの意識や認識が決めているようなものです。
最近はパワースポットブームなどで、特別な場所に行って恩恵を受けたり、自分をいい意味で変化させようとしたりする方も多いですが、究極的には自分の意識によって、どこでも聖地やパワースポットになるのです。
とはいえ、実際にエネルギーと言いますか、もっと簡単に表現すれば「雰囲気」というものが、やはりそういった特別な場所にはあります。
また、実際に自分の肉体を移動させた(旅をした)という意識と効果があり、精神的ことが大きいとは言え、肉体や五感を通して受け取っていく感覚のリアルさの影響も強いと言えます。
そして現地に立ってみて、やはりそこで感じるリアリティ、物質的な感覚というものが、ただイメージしてそこへ飛ぶというものとはかなりの違いが出てくるわけです。
私たちは精神的な生き物・存在であると同時に、物質的で現実的な動物でもあります。従って、意識と行動、生身の肉体でのセンサーと心で感じたりイメージしたりするものとの両方によって、何かを得る効果も倍増すると考えられます。
ここが机上の空論であるアイデアの段階と、実際に行動や体感で経験した現実次元との違いと言えます。
まあ、こんなことは当たり前といえば、当たり前の話です。
今回さらに言っておきたいのは、精神と肉体での逆転発想による向上と発展の方法です。
私たちは行動なり移動なりで、体を使って現実にいる時、結構ただ肉体や欲求の奴隷になっていることが多いものです。
その際には、あまり深く思考したり、何かをイメージしたりすることがありません。
反対に、イメージしたり瞑想したりしている時に、肉体の感覚を意識することが少なくなります。技法によっては瞑想と同時に肉体にも注視するものもありますので、一概にそうとは言い切れませんが。
ということで、これらの関係をあえて逆転させて、というより、統合・融合させてみると面白くなってきます。
簡単に言えば「運動とイメージを同時にする」という感じになります。
まず、何か行っている時にイメージしたり、心で感じることを意図的にやってみます。無意識の惰性のままに動かないということです。
例えば、物を食べながらそれを味わいつつ、味のイメージを色、具材の育った土地などでビジョン化してみるというのも一例です。
逆に瞑想やイメージングにおいては、手や足を動かしたり、何か物質を使いながらイメージを拡大させてみます。
例えば、積み木を組み立てながら、イメージしているのは自分が建てたいビルや家、都市を建築しているというようなものです。
積み木を触っているという肉体感覚が、イメージの中では巨大な創造が行われていると拡大されるわけです。
そんなことして何になるの?と思うかもしれませんが、一言で言えば、自分の中に眠る力が解放されてくると述べておきましょう。
実はマルセイユタロットは、この作業を便利してくれるツールなのです。
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