アテモノとして使うタロット
先頃、サッカーW杯ブラジル大会の組み分け抽選が行われましたね。
タロットと言えば、皆さん、占いの道具だと思っていますから、こういったスポーツの祭典があると、「競技結果の予想を占うことができますか?」というような興味を持たれたり、質問を受けたりすることがあります。
私は基本的にはアテモノの占いでタロットは使いませんし、教えていませんので、このことについては分野の違う質問と話ということになり、きちんとお答えする術を持ちません。(私なりの考えはあります)
ただ、占いでのタロットをまったくしないわけでもありませんし、タロットと占いはつきものですから、全く無関係ということでもないのです。
それで、私が推奨しているのは、スポーツ結果などを当てようというつもりでタロットを引くのではなく、タロットと物事とのつながり・関係性を見るうえで使ってみましょうと話をしています。
まず、タロットの勉強会やタロット体験会などでの話のネタ、余興としては使えます。
オリンピックやW杯の予想をするというのは、多くの国民の関心事でもありますから(本当はスポーツ祭典などは冷静に見る必要もありますが・・)、比較的誰でも興味をもってやってみたくなり、話もはずむことがあるからです。
また一般の人でも、機会としてタロットにふれやすいです。
つまり、当たった、当たらないということよりも、タロットを使って会話したり、象徴として見る場を提供できたりすることが大事なのです。
次に、このようなアテモノをそれなりに継続してやっていますと、いわゆる一般的な規則や解釈とは異なるタロットの出方・意味というものに気がついてくることがあります。
これがタロットの個別性と言えるもので、自分にとっての出方・解釈というものが存在することが発見できます。
それはなぜかというと、論理的には難しい話ではありますが、おそらく自分の表現方法が各人それぞれにあり、それとタロットの絵柄の持つエネルギーとでも言うべき個性と結びついて、「この心になっている時は、自分にとってはこのタロットが出る」というようなものになるからだと推測されます。
人の表現方法に個性があるため、同じタロットのエネルギーであっても、例えばある事柄を表すのに、Aさんでは「悪魔」になっても、Bさんには「力」ということがあるのです。
この場合、「悪魔」はやはり「悪魔」で、「力」も「力」のエネルギーではあるのですが、AさんとBさんとでは、現実でのエネルギーのとらえ方が違うということなのです。
実はこれが自己を分析したり、成長させたりするものとしてのタロット使いのヒントになります。
あと、やはりアテモノをするということは、それだけイメージ力や予測力を訓練することになり、もともと人間にある、目に見えないものや先行きをキャッチする能力を開花させていく(取り戻す)こともあります。
またこれは逆の発想になりまずか、「当たる」ということは、無数にある未来の選択肢の中から、自分のイメージしたものを選択して実現させる(実現させた)という力が働いていることになりますので、まさしく現実化能力・引き寄せの力がアップすることにもなります。
その際、重要なのはイメージすることであり、イメージしたことが当たったと感じられるようになるのがコツと言えます。
アテモノは悪く言われることもありますが、それは当たる当たらない、当たった当たらなかったということで一喜一憂したり、当てた人を神や超越者のように崇め、その人に依存したりして、人や運命に自分を支配されたりすることが問題なのであって、アテモノそのものにいいも悪いもありません。
アテモノをするタロットをしてもまったく構わないどころか、先述したように、いろいろと効果もあるわけです。
要は、自分を奴隷にしてしまう使い方をするのか、自分の人生を自分を主人公として創造的に生きることに活用するかどうかの違いであり、後者で使うのであれば、タロットはどんな使い方でも有用になると言えるのです。
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