自分を規定する周囲の評価

自分のことは自分が一番よく知っているようで、案外知らないものです。

また「私は私」という意識は誰でもあるでしょうが、果たして、「本当の私はどんな私なのか?」とつきつめて考えていくと、わからなくなります。

意外にも、自分や私というものは、他者や周りの環境によって決められていることが多いものです。

妻だから夫だから、親だから、子だから、なになにの社員だから、誰それの友人だから、ここでは目立たない存在だから・・・などなどです。

ということは、人は外側のものによって規定されていると言え、言い換えれば、自己評価は他者によって決まっている他者の評価をもとに自分が決めているということができます。

つまり、周りから自分のことを悪く言われていれば自分をダメな人間と思うようになりますし、逆にほめられるとよい人間だと思ってしまうということです。

ただこのよい・悪いも自分の思いなので、一般的に善良で優れた人間とか、悪人や何の能力もない人間だという意味ではありません。

たとえば自分が「いい人間」だと思っていても、それは奢りみたいなもので、オレはすごいヤツだ、私は人よりずいぶん魅力あるのよね、という感じの高慢的なものになっていることもあるのです。

しかしながら、他者や周りの評価、もっと言うと、言葉かけや態度によって、人は自分を決めてしまうということは重要です。

ほめることばかりがよいことではないでしょうが、あまりに人をけなしたり、意味もなく叱ったり、感情に任せて怒ったりしていると、その向けられた相手は自分を「叱られるべきダメで小さな人間」と思ってしまうおそれがあります。

人間の思いというのはすごい力を持ち、それが継続されてひとつの思考パターン・型となった時、現実(行動になるので)と結びつきます。従って、本当に自分をそのようにしてしまうのです。

人に本来ある、神性や完全性をますます矮小化し、曇らせる要因となります。

マルセイユタロットの「力」のカードは、自分にそれを回復させる意味もあります。

よく自分を変えるのには外側ではなく、内側(心)からだと言われますが、環境である外側を変えて内に働きかけることもできます。

自分の評価が低いと感じている場合、まずは好きなものを持つことが大切なのですが、少なくとも自分を悪く言ったり、可能性をいつも否定したりするような人・環境からはなるべく離れる(避ける)ことが重要です。

やはりポジティブに思う人の多い環境に身を置くほうがよいでしょう。

もちろんあなたを思って叱ってくれる人も大切ですが、ストレス社会の昨今、結構叱る人は愛がなく、自分の感情をぶつけている人が多いのが現状で、教育的に厳しく言われるにしても、その理由や改善方法の提示のないものは受け入れがたいものです。

社会で普通に働き、生きているだけでも精神的なダメージを受け、評価されたり、ほめたりすることは意外に少ないものです。

だからむしろ、ほめられたり、心地よいポジティブな見方をしてもらったりするほうが多い環境にあえて自分を置くほうが、感情のバランスから見ても効果的なことはあると考えられます。

周りにそういう人がいないという時は、自分で自分を鏡に向かってほめてもよいでしょう。

最初は照れくさく、ほめることができにくい場合でも、「まあまあです」とか「結構頑張っている私です」「この私の部分も悪くないじゃない」など、まずはマイナスからフラットやゼロに戻すような物言いでよいと思います。

精神世界では周囲も自分の投影・鏡だと言われます。

ならば、ちょっと冗談みたいな話ですが、本当の鏡と自分自身を使って、鏡に映る自分によって自分の内面を変化させることも可能でしょう。投影の逆利用みたいなものです。

自己評価が上がれば、その分、あなたの世界も変わるでしょう。

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