タロットで劇的な変化がありますか?

タロットをしている私に、以前、立て続けに、それぞれ別の方から、同じようなことを聞かれたことがあります。

それは「タロットによって、すごく変わった点とか、出来事はありましたか?」というものです。

この質問はなかなか私に気付きを与えてくれました。

ひとつは、「マルセイユタロットのすばらしさを伝えている人ならば、どれだけ劇的なことがタロットによって起こる(起こった)のか、知りたい」という欲求が、普通に人にはあるだろうなということ、

ふたつ目は、思い返してみると、タロットと関係する強烈な事件というものは、意外に思い浮かべられるものは少ないということでした。

ふたつを詳しく説明します。

ひとつめの事柄は、言わば当たり前のことですが、商品なりサービスなり、また哲学なり宗教などではあっても、「そんなにお前がいいって言うのなら、具体的にどれだけ良かったかのエピソードを語ってくれよ」と、人は薦められるものに対して、効果を期待して吟味するということです。

ですから物事のお勧め、あるいは商売になればなおさらですが、「効果・効用を説明する」ということがあるわけです。使用前・使用後の表示や広告みたいなものですね。

そして、さらに言えば、その使用前・使用後の対比は劇的であってほしいという願望も人にはあるということです。ただし、あまりにもそれが違いすぎると、逆に人は怪しいと感じることもあるでしょう。

とはいえ、やはり「劇的な変化」のインパクトがあればあるほど、それだけまさに「劇的な印象」を説明を聞いたほうにも受けることになります。まあ、そのほうがウリになりやすい、アピールしやすいということにもなるでしょう。

さて、ふたつ目ですが、実は残念ながら、マルセイユタロットを学び、使っていくということは、そんな劇的な、ドラマや漫画のような話ではないということです。

でも人によっては、劇的なポイントを経験したり、突然変化を迎えたりすることもあると思います。

事実、私もいくつかの、衝撃をもって語ることの出来るお話はあります。しかし、それは内的なもので、表面的・外面的に誰が聞いてもびっくりするような話ではなく、あくまでタロットの象徴を通して感じられた個別体験の意味においてとなります。

マルセイユタロットを使うということは、まるで薄皮をはぐように、自分の思い込みや囚われをはずし、本来の自分を取り戻す作業と言えます。

日々蓄積した要素が、ある日突然、一気に解放を迎えることもあります。それは蓄積というものあってのことで、それが魔法のランプのように、何でもその時その時に願い事を一気に叶えてくれる道具となるわけではありません。

言わば、ロールプレイングゲームにおけるポイント数とゲーム展開の変化のようなもので、タロットによって自他の理解が進むにつれ、さらにタロットはそれまでの次元とは異なる智慧を開く鍵に変化していくというような印象です。

段階や次元が上がる時は、内的には衝撃や一気の開放感が確かにあることはあります。その意味では、劇的と言えるでしょう。

ただある日を境に、突如運が良くるとかそういう類のものではありません。気がつけば、以前の自分とは大きくいい意味で変わっている、成長しているという感覚です。

しなしながら、それはやはりタロットを使ってきたからこその道のりであり、何もツールがない時よりかは、間違いなく自分の認識の変化のスピードや深さは違っていたと言えます。

ということで、マルセイユタロットは、それを手にすれば誰でも良くなったり、変化できたりするというもではなく、まさに使い方と継続にその真価があるというものです。

何も知識も実践もなければ、ただの絵柄のついたカードです。

謎問答みたいな話になりますが、「タロットで劇的な変化がありますか? ありましたか?」と問われれば、「タロットそのものからによる直接的なものはありませんが、タロットを識ることによって、自己の体験が劇的なものであったことの理解ができ、その意味では変化は常にあると言えます」と答えられます。

自己の体験が劇的なものであると認識すれば、それは自らの生き方、世界や宇宙のことへの審美を得ることにつながり、本当に「すばらしきかな、人生」という賛美にも変化します。

その途中では山あり谷ありで、逆に虚無感に襲われることもあるかもしれませんが、さらに続けると、タロットはその虚無からも救済してくれるようになるのです。

こう書くと、イメージできるのはやはり「愚者」のカードであり、「愚者」と「犬」との関係が、私たちとタロットのようなものだと言えます。

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