クリスマスにタロットを感じる。
もうすぐクリスマスですね。
気温も冷え込みつつあり、それらしい雰囲気(北半球の一部の地域がイメージするクリスマスですが)にもなってきました。
さて、クリスマスと言えば、現在はサンタクロースやプレゼント、ケーキ、もみの木、恋人、家族・・といったイメージがありますし、何より教会やキリスト教という雰囲気がしてきますよね。
とはいえ、これらのイメージはかなり誤解があったり、おかしな行事を日本ではしていたりするのだと想像できます。
私は外国に住んだことがありませんので、特にキリスト教圏のクリスマスが実際にはどんな風にされているのかはわかりませんが、少なくとも日本の今のクリスマスのものとは意味も形も異なるのはわかります。
またタロットなど学習することによって、クリスマスが、いわゆるキリスト教だけのものとも言えないことがわかってきましたし、そのルーツは結構、世界共通の「ある認識」によるのではないかという推測も成り立ってきました。
一言でいえば冬至や太陽信仰に関係するということです。
そうやって見ていくと、「クリストマスとは何か」「サンタクロースとは何者なのか」というテーマも、いろいろと興味深い考察もできます。それもマルセイユタロットを学び扱っていくうえで、出てきた事柄なのです。
たとえば、サンタクロースは必ずしも優しいおじいさんとも言えず、カードでいえば「13」や「隠者」、さらには「手品師」ともつながっていると言えることもできるのです。(その他のカードとも関連はあります)
一方、純粋にキリスト教的な行事や儀式、さらには雰囲気としてクリスマスを経験するのも、実はタロットの学び(理解)にもつながるのです。
それはなぜかと言いますと、まず第一には、タロットが西洋の人物や習俗を絵柄としているからです。(創作系の東洋的なタロットは別ですが)
西洋の、特に宗教行事的なものの中には、もともとには深い意味があることが多く、そのためタロットで描かれているものもあり、それを実際に目にすることで、タロットの絵柄を生身のような感覚で見ることができるようになります。
さらには、クリスマスともなりますと、イエス・キリストの誕生伝説とも結びつき、聖母マリアや天使たちのイメージとともに、人々の純粋な祈りや敬虔さ、優しさ、穏やかさ、復活のエネルギーなどが感じられることもあるからです。
この時期に教会に行くと、あまり普段は鋭敏ではない人でも、それらを感じられる人が多くいらっしゃると思います。
こうして、例えばカードに描かれている「天使」の象徴に流れているエネルギー・表現を、これも生身で味わう機会を得るのです。
すると、今度はそれを記憶しているあなたがタロットを展開した時、そのエネルギーがあなたを通して復活してくるのです。
言ってみればこれが「審判」のカードの秘密のひとつです。もちろん「節制」やほかのカードたちでも同様のことができます。
マルセイユタロットは、本当はカトリックのキリスト教とは対立する思想を裏の背景に持ちます。
ですから、ここでキリスト教の教会に行くなどとのことは、相容れない行動であると理屈では思ってしまう人ももいるでしょう。
また無宗教な人間がクリスマスだけ雰囲気がよいからと、教会に行くのもどうかと言う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし今述べているのは、表・裏とか、正当とか異端とかの話に関係なく、人々が絵やお話、宗教等で表現しようとしてきた「愛」を本質的に見てみましょうと言っているのです。
クリスマスはその本質を実際に体感するよい機会なのです。
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