あえて、幸せの「質」より「量」を見る
幸せの感じ方というものについて書いてみたいと思います。
「幸せ」という観念については、人それぞれであることは皆さんおわかりいただけるかと思います。
まさに人の思う数だけ「幸せ」の「感」と「観」があり、言わば価値観の相違によって千差万別に幸せという定義が出てくるわけです。
これ(価値観の異なりによる幸せの違い)については、よく語られているので今更指摘しません。
今回述べるのは幸せの「質」というより、「量」からの観点です。
一番いい例が、お金の消費による幸せの感じ方でしょう。
例えば、海外旅行で何日間もリゾートに行って、幸せを感じる人がいたとします。
一方、国内の温泉旅行で幸せと思う人もいるでしょう。また、同じ旅行でも日帰りで十分幸せと考えている人もいれば、やはり宿泊してホテルや旅館などで、ゆったり過ごすほうが幸せだとイメージする人もいます。
ここで、ほとんどの人が日帰りで旅をするより、海外のような豪華リゾートで滞在するくらいのほうが、幸せと感じる量も多いのではないかと思うかもしれません。
ただそれは同じ自分とか、同じ人間で見た場合です。自分にとっては、定食屋より一流レストランの食事のほうが幸せと感じるというようなものです。
ここで例えを変えます。
もし大金持ちの人がいて、その人の普通の食事は、とても貧乏な人から見れば、非常に贅沢なものに見えるかもしれません。
同様に、いつもリゾートで過ごす人の幸せと感じる量は、一般の人が国内旅行に行くくらいの幸せ量かもしれないのです。
それがどうしたと言うの?と思われるでしょうが、実は非常に重要なことなのです。
人は、実際の活動や表現の違いはあれど、実はまったく同じ幸せの量を感じているのかもしれないということです。
Aさんの幸せと感じる量の表現は、Bさんとは現実的にはかけ離れた表現の違いがあるけれども、心の中の幸せと感じる量や振り幅をもし観察できるとすれば、AさんもBさんも同じのこともあるわけです。
特に幸せ感の麻痺ともなってきますと、いくらお金を使っても、麻痺していない人のわずかのお金の使い方による幸せ感にも適わないことすらあります。
だから「お金持ちは許せない」とか「贅沢しやがって」とか妬みを抱いても、自分を傷つけるだけで、意味はないのです。
お金持ちの方の贅沢というのに嫉妬していても、それはあなたの幸せ表現やお金の使い方(量)がお金持ちの人と違うだけで、あなたのコーヒー一杯が、お金持ちの方にはフルコースの料理の幸せ価値に当たるというようなものなのです。
別にお金の使い方だけではありません。
要は幸せの感じ方の問題ですから、独身の人でも十分日常に幸せと感じられる人もいれば、何人もの友人やパートナーに囲まれても(そもそも複数の時点でパートナーとは言い難いですが・・)幸せを感じられないという人もいます。
このように考えていくと、エネルギーと幸せのバランスが見えて来て、あなたの現時点での幸せ価値度がいかほどのものなのかというのもわかってきます。
私はここで、「だから小さな身近な幸せを感じることが大切」と言いたいわけではありません。それももちろん重要なのですが、そんなことは結構言い尽くされていることであり、当たり前のことだからです。
本質は別のところにあります。
皆さんも考えてみてください。いろいろとヒントはちりばめています。
あと、付け加えるとすれば、本当の公平さ、自由・平等・博愛とは何かというテーマにもなってくるでしょう。マルセイユタロットでは「正義」や「太陽」とも関係してきます。
もしかすると、私の考えていることとは違うこともお気づきになるかもしれませんね。このように、物事は多様と多層に見ることで、とても面白くなってくるのです。
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