選択の意味
さて今日のテーマは「恋人」カードや、その他を見ていて思った「選択」についてです。
人生においては、様々な選択のシーンが訪れます。
その度に人は迷い、時には苦しんだり、あるいはワクワクしたりします。ということは、「選択」そのものは感情の上下・起伏を創出させる、人生においての遊戯道具みたいなものだと言えます。
ここから想像すると、大局的には選択の内容そのものに意味はなく、選択させられる状況それこそが大切なものであると見ることができます。
これは、私が「恋人」カードを解説する時にお話する趣旨に近いものです。
とはいえ、選択によってその後人生が大きく変わることもあります。選択の内容にもやはり意味があるのではないかと誰しも考えます。
選択に意味がなかったりあったり、いったいどちらなんだ?と思いますよね。
それは、「選択」における次元の違いが、選択の意味を決めていると言ってもいいのではないかと思います。
どういうことかと言いますと、先述したように大局的・長期的スパン、もっと言えば「神」や「宇宙」的視点から見れば、選択の内容などほとんど意味がないとなってきます。
むしろ、先ほどのお話したように、「選択」の場面に立たされるシチュエーションこそに意味があると考えられるでしょう。
しかし、もっと次元を下げ、個人的な世界と短期的な時間枠の中で見ると、選択(選択肢)の内容と、その決断は多大な意味を持ってきます。
ということは、次元が低い視点では、その時の個人の思考・価値観によって、選択が間違えたとか合っていたということになるわけです。
その人が何を一番大事に思っているのか、また物事に対して評価する基準(自分の中の法律のようなもの)に叶っていたかどうか、これにより選択の正しさや間違い(と思うこと)が起きるのです。
マルセイユタロットで言えば、次元の低い「正義」的観点によって決まるということですね。
それから、自分の中の法律・ルール・価値だけではなく、人の価値観・ルール・評価によっても選択が良かったのか悪かったのかが決まる場合もあります。
特に自分自身より、他人の評価・世間体というものがとても気になるタイプの人には顕著です。
ただ、この場合は一番不幸とも言えます。なぜなら、人の評価基準など時やケースによって変わりますし(移ろいやすい)、そもそもが、あなたは他人のために生きているのですか?ということになるからです。
さらに自分の中の法律・価値基準で選択している場合でも、その基準自体もやがては変化する場合もあります。
すると、これまで正しかったと思っていた選択が間違いであったと変わることもあれば、その逆の、間違いであったと考えていたものが、間違いではなく、むしろ正しかった、良かったのだと思い直すこともできるのです。
そう、今までのあなたの次元やフィールドで留まっていれば、選択の基準や評価はほとんど変わりませんが、あなたが次元移行(考え方や経験の拡大、もしくは囚われの縮小)を果たせば、いくらでもそれは変化していくのです。
※()書きにもあるように、次元は上昇するだけとは限らず、下降もあって、自分の枠をキツくしてしまい、これまでより狭い考え方になることもあります。
といいうことは、やはり究極的には「選択」の正しさや誤りなどはないと言えます。
もしあるとすれば、今の次元におけるあなた、もしくは他人や組織・社会等(これらは実体があるようでないものです)の価値基準によって判断されるものだということです。
なお、マルセイユタロットの「正義」が表す基準は、私たちが普通に住み、意識するこのノーマルな世界とは違う霊的なもの(次元の異なるもの)なので、逆に言えば、私たちの生きている実際の世界で行う行為や選択の意味・重要度が、必ずしもほかの次元・世界と一致するものではないということになります。
しかしながら、当たり前ですが、あちらの世界の基準というものはわかりづらいです。(笑)
ですから言えることは、選択に悩むのもよいですが、選択のあと、結果が悪かった、間違っていたと思っても、それは今のこの世界とあなたの現時点での価値観での話であって、別の世界(そこにあなたもいるのです)ではそうでもないことはあるものだと思えれば、いつまでも選択に後悔し続けることは少なくなるでしょう。
マルセイユタロットをお持ちの方は、もう一度、「恋人」カードの絵柄の構成(三人とキューピッド)をよく見れば、色々なことに気がつくことでしょう。
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