モデルの人と自分は同じで違う。

成功している人や有名な人、意識の高いと思えるような人などの言動から、人はよい影響を受けることがあります。

モデリングと言って、自分がなりたい人物を意識して考え行動することは、スピリチュアル的にいうと、波動転写という作用に近くなり、自分の枠を拡大させることにつながることもあります。

しかしながらも、物事には二面が必ずあります。

マイナスとしては、もしその人のようになかなか自分がなれなかったり、思うように行かないことが続いたりする時は反作用も大きく、モデルにした人自体を批判したり、自分はダメだと自らを責めたりするようになります。

結構、カリスマ的な人物は、「成長意識のない人、行動しない人は一生そうやっていなさい、自分を怠惰なままダメ人生で生きてください」など辛辣に言われる人もいるので(^_^;)、つらいと感じる人もいるでしょう。

頑張ったけどうまく行かないと落ち込んだり怒ったりして、モデルの人を批判したり自分を責めたりすることも、結局、自分の怒りや悲しみを他者に向けるか自分に向けるかの違いだけであって、構造的には同じものと考えられます。

どちらにしても、実は自分を責めていることになるのです。

前者は他者(モデルにした人)を批判しているのに、どうして自分を責めることになるのかと思われるかもしれませんが、これはつまるところ、自分を投影した人物を批判していることなので、理想の自分になれない自己に怒りや悲しみを覚えていて、鏡映しの自分に文句を言っているようなものなのです。

人の人生を考察していくとわかりますが、どんな人にも感情の波はあり、いつもポジティブであったり、意識が高かったりするわけではありません。平坦な時もあれば、輝かしく何も問題がないような時代もあり、また苦しく失敗だと思う時期もあるはずです。

あなたがモデルにしたような理想的な人であっても、そこまでたどり着くのには、数々の大小の波を渡ってきたわけです。

いきなりその人のレベルの波をあなたが乗りこなそうとしても、やはり今のあなたの段階では難しいことがあるのです。

もっと正確にいうと、難しいと「感じる」段階があなたで、簡単であると思えるレベルがモデルの人だとなります。そのこと自体が平易かそうでないか、実行可能か不可能であるのかの問題よりも、「感じ方」のギャップのほうが大きいのです、

よくモデルになるような人は言います。

「私だからできたのよと言われるかもしれませんが、これは誰でも、あなたにだってできることなのです! 以前のダメな私にだってできたのですから」と。

これは真実でありながらも、嘘になってしまう部分があります。

というのは、この人の中では本当にそのように思っているので、この人としては「真実」なのです。そして「ダメな自分」と表見しているように、この人もあなたのレベルや次元にいたことがあるから、真実だとこの人なりに言うことができるのです。

しかし、前述したように、成功や成長したために、当時の自分の感性・感じ方と今ではすでに違ってきていることに気がついていない人たちがいます。

生まれた瞬間からスーパーな人だった人は誰もいません。みんな赤ちゃんで保護者に育てられます。

そのため、こういう人は「昔の自分を思えば、今こうして現在の自分を見ても、本質的には何も変わってないし、確かにそれなりに努力はしたかもしれないけれど、私って特別の人間じゃないし、やはりやれば誰でもできるはず」と感じるわけです。無力な時代は通っているのですから。

ところが、梯子の上と下ではやはり高さの違いがあります。

モデルのことを理想だと思っている人が、「やっぱりすごいな、この人は」「でも私にはできないわ・・」「この人だからできるんだよね」と感じるその心も実は本物なのです。

上から見下ろすと誰でもできるように思うかもしれませんが、下から見ると、やっばり高くて遠い道のりということもあります。

結局、モデルも、モデルを理想とする人も、どちらも言うことや感じることはそのまま真実と言えます。嘘はついていないのです。

しかし不思議なことに、次元やレベルが異なると、それが時に嘘に思えるようにもなるのです。

そこで、モデルにあこがれている人(ああいう人になりたいと思ってる人)で大切なのは、必ずしもモデルや尊敬する人の言うことに、自分がその通りにできなかったり、考えに至らなかったりしたとしても、自分を責めないことです。

落ち込むことは普通にあるのが人間ですし、あなたはモデルの人そのものではなく、あなたはあなたなのです。モデルの人はあなたの投影の部分もあるでしょうが、やはり個人としては別です。

あなたはあなたなりのペースで、魅力を感じた人の要素を真似したり、採り入れたりして、モデルの人に見た「あなたの個性」を生かすようにすればよいのです。

個性があるということは、それだけ違うペースや進み方、発展性があるという意味にもなります。教科書通りの進展にならないほうが当たり前です。

時間がかかり、変化の度合いが言われるようなものでなかったとしても、それも自分の表現です。

「成功」という面で考えても、マルセイユタロットは成功を、現実レベルと精神レベル、さらにスピリチュアルレベルがあると説き、少なくともこのように三層あるわけですから、どの分野で成功しても、それは確かに成功といえます。

個性を持って生まれた時点で成功という人もいます。人はすべてはひとつかもしれませんが、誰一人同じ人はいませんから、あなたの生き方が成功と述べてもよいのです。

ただし、あなたが「自分を生きていない」と思えば、それは「個性を生きていない」ということなので「失敗」だと自分で決めているようなものであり、それは、つらいと感じる人生となるでしょう。

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