「変わらないために変わる」「変わるために変わらない」
今日、タロットを見て浮かんできたことは、「変わらないために変わる」「変わるために変わらない」というフレーズでした。
特に「吊るし」というカードを見ていて思ったものです。
「吊るし」に描かれている人物の姿勢は逆さ吊りであり、そのことからマルセイユタロット以外のタロット種では、犠牲や苦しい状況、時には磔(はりつけ)みたいなイメージで語られることもありますが、マルセイユ版は、「逆さ」という姿勢の能動さ(積極さ)に注目します。
すると、前述したように、「変わらないために変わる」とか、「変わるために変わらない」という言葉が出てくるのです。
「変わらないために変わる」とはどいうことでしょうか。
例えば、あるポリシーを持っていたり、自分軸というものがしっかりあったりする場合は、本来は変わる必要はないのかもしれません。
けれどもやはり時代や人は変わっていきますし、そもそも宇宙のサイクルは変化していくものです。いわば状況が変わっていく自然の流れというものがあり、それに対して抵抗するかのように頑固に変わらないのも問題といえます。
たとえば老舗のお店があるとして、ご主人が変わらない店の本質は守っていきたいと思っているとします。
ただこの時代、HPなどネットの告知をまったく持たず、味も店のすべて何もかも昔のままで変えずに商いをするのは難しいでしょう。
これは実際に聞いたことがありますが、老舗の味でも時代によって微妙に味を変えているということです。そしてそれは決して店の軸を曲げることではなく、お店として商売・繁栄を続けていくための方法であり、何よりもお客様に喜んでもらうものを提供したいという変わらない精神のためでもあるということでした。
自分の本質が変わらないためにも、何か外や対応を変える必要もあるということですね。
言い換えれば自分や相手を守るために、表現や外向きには変えることもある・できるということです。
愛する人のためには、いつも同じやさしい態度で接するだけが行動ではなく、時にはあえて厳しくすることで、本質の愛を貫く場合もあります。相手側からすれば、態度が変わったように見えるかもしれませんが。
これはいわば自分を持ちつつ、臨機応変に行動する態度と言ってもよいかもしれません。こうなとる、マルセイユタロットでは「手品師」とも関連してきそうです。(マルセイユタロットの「手品師」と「吊るし」は格好が似ています)
一方、「変わるために変わらない」ということも面白いです。
こちらのほうが、よりスピリチュアルかもしれませんし、「吊るし」の意味の原義に近いでしょう。
ひとつは、変わる準備のために今はあえて変えないのだということです。
今、不安定だからこそ、大きな改革が予定されているのなら、それを急にやってしまうと、組織自体衝撃でガタガタになってしまいます。従って、何が必要で何が不必要か、どこを改革すればよいのかなど見極めと準備のための調査・安定・保存期間がいると言えます。
お金が不足してきたり、人間関係や恋愛で問題があったりすると、人は外側のことで動揺します。
しかし、内外(自分の内と外)が呼応しているというスピリチュアル的信頼を得ていると、物事の原因は自分にあることがわかり、やたらと外側に働きかけて動いてしまうということを避けます。それよりも内なる平安を取り戻そうとします。
これは一見、変わらないようなことに見えて、自分を変えているものでもあります。
それは外側の問題を自分の総合的な発展拡大の課題(恩恵)としてとらえ、これまでの自分より内なるものを大きくしていくことで、心のバランスを回復させ、適切な対応をしていくことを可能にするというものです。
つまり、それまでの自分では問題になるところを、自分が内的に変化することで、問題を問題ではなくしていくということになるのです。
変わるのは内であり、変わらないのは見た目なので(無闇に動かないので)、何も変化していないように外的には見えるのです。
「変わらないために変わる」
「変わるために変わらない」
この両方を必要に応じて採択していけば、結局、「吊るし」の意味でもある「不動の精神」で生きていくことができるでしょう。
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