三つの世界意識
マルセイユタロットを通していろいろな考察ができるのですが、その代表的なものに、世界観の考察(洞察に近い)というものがあります。
私たちには普段意識はしていませんが、大きくわけて三つの世界観があるように感じられます。それはまた、マルセイユタロットでも表現されていることです。
その三つとは以下のものです。
●個人的な意識(私)
●社会的な意識(公)
●宇宙的な意識(全)
もちろん細かく分ければもっとたくさんありますし、一概には言えないところではありますが、タロットから見るとこうなってきます。
それぞれ簡単に説明しますと、かっこ書きで表している単語がその階層をよく示しているのですが、まず個人的な意識というのは文字通り、自分というものを強く感じている意識です。
ある面、わがまま意識と言ってもよいでしょう。その認識する世界はとても狭く、自分のためというのが第一の価値となります。しかしながら、ここをよくわかっていないと、自分が何者であり、どのような個性や特性をもっているのかわからず、迷いがちの人生ともなります。
二番目は社会や外に向けて拡大した(拡大する必要のある)意識で、人間社会で生きている限り、この意識を持たないわけにはいきません。なかなか心理的にも重要な意識と言えます。
ポジティブに見れば、世のため人のための意識といえますが、ここがあまりにも強いと、自己犠牲が行き過ぎたり、組織に縛られたり、自分ではなく人の人生を生きようとしたりしてしまいます。
三番目は全体意識であり、すべてのものはひとつという、いわゆる「ワンネス」的な境地です。この意識に至ると、ほとんどの問題は消え失せ、愛に包まれる状態になるでしょう。
反面、抽象的であるがために具体性に欠け、個別の問題に対処できなかったり、すべては同じように発展していくものという幻想にとらわれやすくなったりもします。(ただし本当の全意識に至っている場合は、幻想にとらわれることはないと考えられます、あくまで概念上で見る「全体意識」でのことです)
実は、私たちはこの現実世界で生きているうえでは、肉体的、精神的、霊的な存在(を同時に生きている状態)であると考えられますので、この三つのすべての意識はどれが優れているとか、どれでなければならないとかではないと言えます。
重要なのは、この三つを通して共通の意識で動くということです。
共通と言っても、3世界を全く同じアイデアややり方で生きなさいというのではありません。それぞれ表現方法は違えど、一本の芯が通っているような共通のものを持ちましょうということです。
いわば三世界にわたって、どれも理屈が通る生き方をするということです。
自分のやっていること(やろうとしていること)が、自分のためであり、世のため人のためであり、宇宙のためであるという見通しと確信が得られれば、それが一番強力なわけです。なせならば、三世界(三つの自分自身)の合意できるからです。
すべての考えや行動に、この三世界の合意がなければならないとは言いませんが、せめて自分の生きる目的(使命のようなもの)は、筋を全部に通しておくことが望ましいでしょう。
その筋の通し方、あるいは合意形成ができるアイデアは、マルセイユタロットならばとても作りやすい(発見しやすい)のです。そもそもが、そのためにできていると言ってもよいところがマルセイユタロットにはあるからです。
人は、自分のためだけに生きていてもその人生はつまらなく、充実感や輝きを感じられないでしょう。
また宇宙や社会のためと言って生きていても、自己の存在が希薄になったり、特に肉体的・物質的満足感・達成感は得られにくかったりします。
両方(もっと言えば、三つ)あっての真の生き甲斐感といえるでしょう。
さらに、4つの目の世界観がタロットにはあるのですが、それはタロット講座などでお伝えします。
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