神の住まう家、「神の家」と「神棚」
マルセイユタロットの「神の家」のカード。
ほかのタロットや、一般的なタロットカードの名称では「塔」と呼ばれ、絵柄から不吉なカードとされているものですが、私が伝えるマルセイユ版ではまったく逆の発想となります。
すなわち、神と関係する栄光や祝福というイメージになるのですが、ただ、素直に絵柄だけ見ると、たとえマルセイユ版であっても、雷光のようなものが建物に落ちていることから、やはり強烈なインパクトがありますし、怖ろしい雰囲気が漂うこともあります。
私が個人的に思うのは、このカードの解釈の鍵は、やはり「神」という言葉(概念)にあろうと思います。
神は文字通り神聖なものであり、私たち一般の人間にはうかがい知れぬエネルギーですが、それだけに大いなる恩恵を与えてくれる力があると同時に、天災のような、人ではコントロールできない巨大な災厄も起こす存在のようにとらえられます。
つまり、どちらにしても畏れ多いものがあるのです。
ただ、自分の内に神性があるという内的なものとして想定すると、また違った見方ができます。神の大きな力は自分にあるということになり、その力を引き出す、あるいは大いなるものと一体感を得るという方向になるでしょう。
もしそれを形として表現するとなれば、自分の神性と向き合うための、自分にとっての「神の家」を作るということになるでしょうか。
実は私たち日本人は、すでにこのことを古くから日常的に行ってきたと考えられます。それは、「神棚」の設置です。
私は「神の家」のカードを見ていて、そのように感じました。
このカードは前述したように「神」に関する様々なことを意識させますが、具体的に、「神の家」自体を自分自身や、今居る所に作るという意味もあるように思います。
つまりは神殿を造るということです。
とは言っても、実際にフルサイズで神社を家に建てるわけにはいきません。(民俗学的には屋敷神という概念があり、小さな社を敷地内に建てている場合もあります)
それでも、「神棚」というサイズのものを家に置くことで、それを神殿化して、神性を常に実感させることができます。(神の常駐)
これは神の御霊を分けいただいて祀るという意味もありますが、タロットカードの「神の家」的解釈で見れば、神棚に向かう時、自らの内なる神性を思い出し、それを回復させる効果があるのではないかと思います。
言ってみれば、神棚(神殿・神の家)と、神棚に向かっている自分とを融合するようなものです。つまり、自分自身を「神の家」とさせるわけです。
実際の神殿(神社)のほうがそれがしやすいかもしれませんが、距離的・地理的・時間的・スペース的問題があるので、そのミニチュア版、別の言い方をすれば「ひな型」として、自宅(家)に設置するのが「神棚」だと言えます。
日本人の場合は神棚のほうが感応を得やすいかもしれませんが、神殿ということであれば、別のものでもいいと思います。
そして、何より、マルセイユタロット自体が神殿にもなるのです。その理由は講座でお伝えしています。
「神の家」が出たり、そのカードのイメージが浮かんだりする時、やはり自分の神性(完全性、善悪や利害を超越した霊的素養)を思い、神なる気持ちで襟を正す必要が場合によってはあります。
神棚と自分という関係は、それに手を合わし、自分が神であること(これは傲慢になることとは逆で、自分がすべてとつながるということであれば、謙虚になるはずです)を認識し、宇宙の有り難さ、つまりは自分を含めたあらゆる存在への感謝を行い、尊い気持ちにリセットしていく機能があると「神の家」のカードを見ていて思います。
伝統的な行事や風習が、無駄なものと考えられたり、意味不明なものと廃止されたりすることが多い昨今ですが、やはりそれなりに意義があり、心のバランスや神性を回復していく装置や仕掛けが、実は至る所に昔はあったのではないかと想像しています。
学生時代、民俗学にふれ、こうして今マルセイユタロットに関わる私の中では、さらにそれが確信にも似た気持ちとして今存在するのです。
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