何をやっても完璧な「世界」

私はタロットにおいては、人にモノを教えている立場ですので、一見、アウトプットが多いということになります。

しかし、ずっと講師的なことを続けていますと、まったく逆であることも強く感じています。逆とはインプットする側に回るということです。

最近は「バランス思考」も、結構いろいろなところで言われているので、「そういうこともあるでしょうね」と思う人も多いかもしれません。

すなわち、出すほうが多くなると、それに比例して入ってくるほうも多くなるという理屈です。お金のことでは寄付などの貢献の例でも言われていますよね。

ただ、私が感じているのは、そうした一面(言い換えれば誰にでもわかるような、目に見える分量的な要素)だけのバランスではなく、感情的・精神的・霊的ともいえる部分においてもバランスがあり、言ってみればすべての分野でバランスが貫かれているのだというものです。

例えば、私はタロットの生徒さんに、当然ながらタロットのことをお伝えしていますが、実はタロットのことをお話しながらも、人生や統合的な自身の発展について語っているところがあります。

そういう私でも、プライベートに戻れば、悩むこともありますし、落ち込むこともある人間です。そんな時、不思議なことに生徒さんからのメールが届いたり、会って相談したいとかの申し出があったり、偶然に生徒さんに町で出会ったりすることがあります。

内容は、やはりタロットに関する質問や報告であることが多いわけですが、その中身が結構自分に関係していたり、そもそも生徒さんからの感謝の言葉であったりと、生徒さんの意図とは別に、私を励ましてくれることがたくさんあるのです。

また私自身が、人生について教えていただくことも多々あります。それらのタイミングは、まさに奇跡としか言いようがありません。

本当にトータルな意味でのバランスが働いていることを、こうして日々実感するのです。

ただ、多くの人は、そのタイミング(バランスが取られていることのタイミング)に気が付いていないですし、バランスが見た目だけではなく、全体を通して働いていることに考えが及びません。(その情報を把握するテクニックや考え方を得ていない)

ここで言う「バランス」というのは、単に釣り合いの取れた天秤のようなものではなく、自分のしていることが、同じエネルギーと質で還元されてくるような、ダイナミックで立体的・流動的なものでもあります。

あなたの表現(アウトプット・インプット)は、別の人や形を変えて、等量に確実に流れているのです。これが、自分の外側のものが、自分の内なるものの鏡であることの理由のひとつでもあると考えています。

あなたのしていることは、あなたという世界のエネルギーにおいて(それがまさに「世界」でもあります)、一切の無駄はなく、バランスが完璧に取れていると言えます。

だからこそ、マルセイユタロットでは、「正義」と「節制」が、ある並びにおいて対極的な位置を取りながらも、深く関係するカード同士になっているのです。

こうなると、何をやっても「完璧」であるので、逆に言えば、人生は、好きな表現を選択して自分を生きていくことが、とても面白いと言えるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top