時間の「非」常識的なとらえ方
時間というものを考えると、実に不思議な気分になってきます。
マルセイユタロットにも時間を象徴しているカードがいくつかあり、特に「運命の輪」は関係が深いと言えます。
今日は、その「運命の輪」を見たり、ほかのカードの象徴から出てきたりしたもので現れた、ひとつの時間についての見方をご紹介します。
私たちは普段、時間を意識しているようで、あまり本当は意識していないとも言えます。
意識している時間というのは、実は何かの始まりや終わりの時間で、途中ということはほとんど気にしていないと思います。
たとえ、途中の時間を見ようとしても、それは今やっていること、拘束されている中での終わりの時間を気にしていたり、反対に、次に始まる何かに対しての時間に注意を向けていたりしているから、途中(経過)を確認しているのだと言えます。
ということは、私たちにとって日常的な「時間」とは、始点と終点、または区切りでの意味でしかいなという極論になります。
逆に言えば、始点と終点があって初めて、私たちは「時間」というものが意識できるのだということでもあります。
そして、始点と終点によって区切られた感覚時間が、「今」という意識を起こしていますし、もっと言うと、「ここ」に滞在している(過ごしている)という自分の感覚を植え付け、さらには、その区切られた時空間の「質」と色づけによって人生の意味が決まる(決めている)と考えてよいかもしれません。
時間を無機質に、始点と終点によって区切れた箱のようなものが並んでいるに過ぎないと見た場合、箱の積み上げ方による「効率性」を強く見ることになり、並んだ箱の数の多い少ないなど、蓄積と所有「差」で見るだけの、言わば日常は空しい作業の繰り返しというイメージになってきます。
しかし、箱の中身はひとつずつ違いますし、中に何が入っているのか、どんなものが入るのかと想像していくと、箱を積み重ねる作業は楽しくなります。
また、箱の積み上げ方、組み上げ方(横や直線だけではない積み上げも含む)によっては、始点と終点(箱の囲い)は箱ごとに確かにあるかもしれませんが、見ようによっては、三箱ごととか、四箱ごとかグループで分けると、小さな囲いは消えて、ひとつの塊の囲いが新たに見えてくることもあるでしょう。
箱の中身まで検討すると、別のところに積み上がっている箱同士でも、つながりを発見することもあるかもしれません。
つまり、これは、時間のとらえ方の違いであり、ただの無機質な箱を直線上に同じ方向に「区切られた時間箱」を並べるしかないと思い込んでいるものと、箱は縦にも横に斜めにも立体的にも積み上げることができるという感覚を持つのとでは、まるで異なってくるわけです。
前者が過去・現在・未来と一直線上にただ同じ時間が流れていくという見方であり、後者は円や立体的に時間をとらえ、時間の流れよりも、時間そのものの質に注目する観点です。
どちらが正しいとか間違いであるとかを述べているのではなく、こうしたいろいろな見方による時間のとらえ方・感覚があると言っているのです。
先程私は、私たちの日常時間は、実はほぼ始点と終点しか意識されていないものだと言いましたが、ということは、始点と終点以外の真ん中の時間(「今」と言い換えてもよいもの)への意識が希薄であるということにもなります。
いわゆるこれが、「魂、ここにあらず」状態になってしまう主な原因かと考えられます。
よく「今に生きよ」と言われますが、それは時間を始点(何かの始まりへの関心)か、終点(何かの終わりへの注目)かで見がちになり、それ以外の意識で時間をとらえようとしないところにあるからと言えます。
わかりやすく言えば、いつも「あの時はああすれば良かったな」とか、「あの時会ったあの人はどうしているだろう」とか、「次のの日曜はあれをして遊ぼう」とか、「あの時がやってくると困るなあ」とか、常に過去か未来かを思っているということであり、現在・この瞬間への意識が行かないことで、空虚な生き方をしていることが指摘されているわけです。
まあ、このようなこと(過去や未来に生きず、今この瞬間に生きること)は、今までもよく聞いたという人も多いでしょう。
ただ、それは時間を始点と終点で見過ぎているからという、極めてシンプルな理由で語られていることは少なかったのではないかと思います。
つまり、言ってしまえば時計の目盛りに支配されすぎているということであり、だから、もっと時間を先述した「箱」の一塊ような「集団・グループ」のように見ていくとよいのです。
一時間ごとの区切りとか、始まりとか終わりの区切りを当たり前のように意識せず、まずは午前中とか午後とか月の前半とか、比較的長いスパンからとらえていくとよいと思います。
それから、時計的な24時間区切りで見るのではなく、質で区切るような時計(時間の長短ではなく、時間の濃密度で考えるような異質な時計)のようなものを自分の心に作り、それで時間をとらえると、まったく別の世界が意識的には出現します。
確かに時計時間的な生活をしていないと、実際では困りますが、同時に別時計で考える自分も持つと人生は変わってくるのです。
例えば、活き活きとしている自分の心で図る時計であると、終わりや始まりの意味も変わります。必ずしも、時計時間の通りに始まったり、終わったり(見た目の行動はそうであっても)しなくてよいことになります。
これは「今」を生きるというのとは少し違いますが、時間を一般の人が思っているようなものではなく、もっと別のものとして、自分が意識できるようになる方法のひとつと言えます。
「時間の縛り」は、私たちを、ある欺瞞の世界に閉じこめておくもっとも有効な幻想ツールのひとつだと言えます。(しかしながら、私たちを守っているものでもあります)
だからこそ、時間に関係するマルセイユタロットの「運命の輪」は、数の意味でも重要な位置に置かれているのです。また、そもそも名前に「運命」がついていることからしても、興味深いカードなのです。
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