お知らせと、危機から来る「特別な出会い」
まず、二、三のお知らせを。
●お問い合せについて
最近、タロット講座やリーディングのお問い合せをいただくことが続いており、有り難い思いでいますが、せっかくお問い合せをいただいたのに、メールアドレスのご記入ミスなどで戻ってきてしまうことがあります。お問い合せいただいて、3日経過してもこちらからの返信がない場合は、再度ご確認いただければ(迷惑メールフォルダ等に入っていることも含めて)と存じます。
●タロット講座
現在、関西では9月中・後半頃開始の予定のコース(基礎講座ハイクラス)を計画しています。それ以外でも随時、個人講義やグループ講義も行いますので、お問い合せください。
関西以外の遠方の人には、スカイプ講座や、招待いただければ個人・グループででも出張講座を行うことができます。
基本的に全国主要都市で、3名以上(地域によっては4名以上)の受講があれば、出張費なしで講座を行うことができます。(個人・グループ2名以内は出張費が必要です)
その他、関東では神奈川県藤沢市で行うタロットのお話会&リーディング体験会、そしてタロット講座の企画を考えていますが、参加ご希望・ご要望があれば、お問い合せしていだたければ実施の可能性が高まります。
リーズナブルにまずは入門からという方は、10月から開講予定の京都新聞文化センター、よみうり神戸文化センターのカルチャークラスをご検討いただければと思います。(体験会は9月にあります)
●7/27(日) マルセイユタロットお話会&リーディング体験会
大阪市中央区で上記の会を行います。残りあと一名様です。会の詳細はこちらの記事にて。
お知らせが長くなってしまいましたが、本日の記事です。
私は今でこそ、マルセイユタロットの講師をしていますが、以前は実は、タロットについてまったく興味がなく、将来タロットを使った仕事をするなど思いもよりませんでした。
その私がなぜマルセイユタロットと関わることになったのかということは、またシリーズで詳しく書きたいとは思いますが、簡単に言えば、個人的「危機」があったからです。
すでにこのブログでも何度か書いていますし、カテゴリーとしても「うつ 心の健康」とあるように、私はうつ病を患い、不安神経症とも複合して、非常に苦しい時期がありました。
人間、誰でも生命や存在、土台、精神の危機が何度か人生であると思いますが(まったく寿命まで何もない人もいらっしゃるでしょうが)、私の場合もうつ病の時がまさにそれでした。
まあ、マルセイユタロットでいえば、「13」であり、「隠者」と「神の家」にも通じる出来事です。
その時は、なかなか個人的には壮絶な状況だったのですが(見た目はそうではなかったかもしれませんが精神的には危険な状況でした)、いろいろともがき、時にはあきらめ、治療を試みたりしているうちに時間が経過し、よやうく気がつくと普通の状態にゆっくりと戻っていました。
その最終過程で出会ったのがマルセイユタロットだったのです。
つまり、逆に言えば、こういう「危機」がなければ、タロットに関心を向けることもなく、たとえ興味を一時的に抱いても、本格的に学習したり、扱ったりすることはなかっただろうと思えるのです。
これを目的論風に言うと、タロットに出会うために危機を起こしていたとも言えますし、実はタロットに出会うということは、単にタロット(マルセイユタロット)に出会うことが目的ではなく、タロットの示す奥底の何か(グノーシスであったり、智慧であったりするもの、光)を知る(確認・認識すする)ためであったとも言えるのです。
今でこそ思えば、相当苦しい経験であったがゆえに、タロットの奥深い部分に興味をもつことができ、そこに向けた取り組みが始まったと考えられます。
もし当時よりも軽い状況で、「ちょっとしたしんどさ程度」の過程でタロットに出会っていたとすれば、そこまでタロットに深く入っていたかどうかは疑問です。
何が言いたいのかといえば、要するに、人の個人的「危機」は、ある霊的な導き(成長の導き)そのものであるということです。
そしてまた、タロットとの出会いといえば、衝撃的なイメージがあるかもしれませんが、私にとっては意外にもそうではなく、それまでの過程は壮絶であっても、出会い自体はふとしたきっかけみたいなものだったわけです。
ということは、人にとって影響を与える重要なものというのは、必ずしも一目惚れとか、強烈な体験をもってとかではないということでもあります。
遭遇のきっかけは偶然(を装っていたり)であったり、些細なことだったりするのです。
従って、ピンと来たらとか、何となく気になるというようなレベルでも、特に危機のあと(危機の最中は冷静な判断ができず、逆に危険です)で少し落ち着いてきた時に出会うものは、人であれ、モノであれ、何か時別な意味をもつことがあるかもしれず、注目するとよいでしょう。
自分にとってよいものは、人にとってよいものであるとは限りません。でも一生の出会いというものは誰にでもひとつやふたつはあると思います。
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