ふたつの枠
近頃は、親や他人に植え付けられた「枠」「フレーム」「考え方」「ものの見方」によって、自分が苦しめられているということを訴えたり、その解放を述べたりする意見が多くなってきましたね。
それは私も頷ける部分があると思っています。
確かに、そのようなことで、自分で自分を縛って、不幸な人生にしてしまうようなこともあるでしょう。
しかし、何事もそれが「絶対」だと見たり、極端に一方向に傾いたとらえ方をしたりすれば問題です。
人から「押しつけられた」と見ると、それは弊害とか悪いものとしか考えられませんが、「人から与えられた」「教えられた」というように表現を変えてみるとどうでしょうか?
私はマルセイユタロットによって、自分や人には同じ部分と、違う個性表現とでもいうべきものが、次元を変えて同居・存在していることに気がつきました。
つまり、違っているけど同じ、同じだけれど違っているということです。
別の言い方では、人間として根本は同じだけれど、多様な表現と個性を持つ「世界」であると述べることができます。
さらに、タロットから示されるのは相互交流や影響の及ぼし合い、それによって新しいものが創造されたり、葛藤が統合されたりする現象です。
それを踏まえた上で、話を戻します。
私たちは人から影響を及ぼされますし、人に影響を及ぼしもするのです。
コンピュータ的に言えば、人の見方や考え方をダウンロードしたり、アップロードしたりするわけですが、それはいい面も悪い面もあるということです。
最初にも述べたように、悪い面については多くの人たちが指摘し、その呪縛ともいえるものからの脱却・解放を謳っています。
ですから、ここではよい面にもふれてみましょう。
そうですね、恋愛がわかりやすいかもしれません。
男女ではもともと、もの見方やとらえ方が違っています。それでも恋愛関係になり、お互いが濃密に交流しようとすると、いろいろなことが起こってきます。
そして、相手の「枠」(見方、感じ方、価値観など)に気がついてきます。それは恋愛によって、相手のことを知りたい、理解したいという欲求が出るからです。
一緒に話をしたり、過ごしたりする時間も増えるので、相手の行動や思いのパターンを見ることも頻繁になってくるというのもあります。
まあ、ここでよく言われるのは、熱愛の時は相手のよい面ばかりが見え、気持ちが冷めてくると悪い面がクローブアップされるということです。
それはもう、ほとんど知らされていることなのでここでは説明しません。
重要なのは、相手に近づきたいと思う気持ちにより、そして相手と交流していく機会を多く持って行くことにより、相手の考え方や物事のとらえ方、つまり、相手の「枠」「フレーム」を知ることになる(相手目線を知る)ということです。
知るだけではなく、やがて自分にダウンロードして行きます。(全部ではなく一部)
そうすると、今まで自分が知らなかった枠・フレーム・ビジョンを獲得することになり、これまでとは違う世界を経験するようになります。もちろん相手もそうです。
相手が自分と似たところがあるのもうれしいことですが、たとえ近接点ではあっても、逆に違う見方を得て、「そういうとらえ方もあったのね」と、感動することもあるわけです。
恋愛では相手のことが好きな分、相手の考えは受け入れやすく、同調(ダウンローのことド)したいと素直に思うので、別の見方があなたにも出現することになります。
別の見方というのは、究極的には別の世界のことですから、あなたは(彼、彼女が経験した)新たな世界の旅のチケットを手に入れたことにもなります。
たとえ恋愛がうまく行かず、二人の関係が終わったとしても、あなたが見る新しい世界のフレームは残されたままなので、あなた自身の経験と幅は広がったことになります。
その時、「あの人に逢えて良かった」と思えることができます。
関係がうまく言っている人はなおさらで、まさに今、「あなたに逢えて良かった」と、今まで以上に感謝の気持ちが起こってくるでしょう。
極端な言い方をすれば、「あの人の枠を押しつけられて、ありがとう」という感じでしょうか。(笑)
人の枠・フレームを自分に入れることは、一面では、とてもよいこともあることがおわかりいだたけるかと思います。
枠は自分と人のものとがあり、また人のものであっても、それによって自分が支配されるのか、自分に多様さをもたらせるものとして、選択できる形として活用するのかによって、まったく意味が違ってくるのです。
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