目・視線、そして世界

人間の視線視力というものは重要です。

マルセイユタロットでも、カモワン流から入った私としては、その流派の特徴ともいえる、カード人物の視線を追ってリーディングするということを訓練してきました。

そうしていると、実際に人間の視線や目の象徴性に注目せざるを得なくなってきます。

秘密結社や古えの秘儀伝承、神話等にも、シンボルとして「目」が描かれることは多いものです。

「目」とは何でしょうか?

それは個人の視線もあれば、大きな神の目線もあるのです。

意味するところは様々ですが、 「見ること」と、そこから「ある世界」が生まれること、逆に「ある世界」は「ある目(視線・見方)を持つ」ことは、象徴的に共通していると言えます。

つまり、われわれは「目」を通して、自分の世界をまさしく生み出している、創り上げていると言えます。

「目」と言っても物理的・光学的な作用で見るだけではなく、今の科学では捕らえきれない霊的な世界を見る目や、心の目といったものもあるでしょう。

しかし、自分が今開眼している「目」でしか物事を見ることはできず、そのレベルや段階によって、世界が新たに現れる(捕捉できる、創造できる)と言ってもよいでしょう。

たいていは、普通の「目」しか開眼していません。当たり前のモノを見る視力です。

ところが、これさえも例えば近視になったり、老眼になったり、眼病になったりすれば力は衰え、または歪(ひずみ)になり、今までの見ていた世界とは異なってくるわけです。

客観的に言えば、それだけ視野と見る世界が狭くなっていると言えます。

とはいえ、これまでの蓄積された経験もあるので、見えなくなった分、推測や想像で補うようになるとも考えられます。それだけイメージの力として、もしかすると心の目は開眼していくのかもしれません。

ということは、目の病気であっても、老いて見えにくくなっても、冷静に内なる方向に開眼を目指せば、また新たな世界や境地は切り開かれる可能性があると思えます。

さて、タロットに戻りますと、さきほど、タロットの人物の視線を重視するというようことにふれましたが、その後、自分なりにマルセイユタロットを研究していくうちに、人物の視線だけではなく、絵柄そのものにもいろいろな「目」が隠されていることに気がつきました。

さらに、その目の種類によって、ヒーリングに機能したり、オーラのような別体を視ること(意味と方法)を示唆していたり、未来予測に関係するものがあったり、洗脳を思わすものがあったりするのもわかってきました。

またカード単体だけではなく、カードが連繋することによって、目が新たに出現し、複眼ともいえる視線によって、問題や課題の本質を読み解くケースもあるのです。

そうやって見ていくと、私たちは「目」をもっと多重な意味で活用しないといけないことがわかります。

逆に言えば、「目」の機能はほんの一部しか使っていないのです。目を目としてそのまま使うのではなく、違う身体や心の部分と連動させ、別の目のエネルギーにして見るという感じでしょうか。

それはともかくとして、マルセイユタロットでは、特に人物の視線が鋭くなっています(厳密にはマルセイユタロットの種類やタイプにもよります)ので、その方向やカードの組み合わせによっては、特別な意味が示されることがあり、単純にカードの意味を読むのとはまったく違う回答が得られることがあるのです。

カードと自分、またはクライアントと一体化するように展開を見た時、カードの視線の力は現実にも効力を持つ仕組みになっているのだと考えられます。

それにはカードとのつながり・関係性の濃さと、カードに展開される世界が象徴として、リアリティを感じることができるかによります。タロットリーディングの極意は、タロットを信じられるかにかかってくるからです。

それもまた、タロットと現実を結びつけられる「目」が持てるかということになります。

結局、見方を変えれば、マルセイユタロットは「目」の力(単純な視力の話ではありません)を拡大させる訓練機能があるのだと考えられるのです。

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