自分の宝と出会う縁

今の時代はインターネットもあり、様々な情報が簡単に手に入ったり、接したりできる時代になりました。

もし、この世界をふたつに分けるとしたら、ネガティブなものとポジティブなものというように分類することができるかもしれません。

ただ、価値観や人それぞれのモノサシによって、何がネガティブで何がポジティブかを分けるのポイントが変わってきますので、分け方そのものについては、なかなか決められません。

しかし、物事を大きく分けると「ふたつの視点」になることは言えるのではないかと思います。

ということで、世の中にあふれる情報や技術というものが自分にとってポジでもネガでも、とにかく手に入れやすい状況になっているのは確かでしょう。

言ってみれば、良くなるのも悪くなるのも簡単な時代になったということです。

ところで、これだけたくさんの情報がある中でも、意外に本格的に接したり、学んだりするのものは少ないものです。

つまり選択して実行・実践するまでとなるのには、数が限られるわけです。

それは一人の人間が現実的に関われる量(時間や場所と言ってもいいでしょう)というのは無限ではなく、制限があるからです。誰でも寿命があり、まったくの自由の状態ではありません。

従って、やはり、情報に接することは増えても、自分にとっての大切なもの(技術やメソッド、考え方など)というのは、特別なものになると言えます。

ここにマルセイユタロットでいえば、「恋人」カードの天使で表される「縁」や高次(と低次が合いまったこと)の働きかけというものを想像することができます。

タロットとの出会い、タロット学習においても、この「働きかけ」が見られます。

私のところにタロットを習いに来られる方のきっかけも様々ですが、最初からはっきり決めた状態で、私の伝えるタロットを習いたいと言って来られる方は少ないです。

私自身、知名度があったり、本を出したりしているわけでもありませんので、言わば「知る人ぞ知る」(笑)ような状態です。

ですから、講師の名前で来られるというのではないです。やはり、基本は、タロットや、その中でもマルセイユタロットに興味があるという感じなのが普通です。

※最近はブログを読んでという人も増えましたが。

習うきっかけ、出会うきっかけというのは、たまたま文化教室のチラシを見たとか、検索したらたまたま出ていた(私は検索の対策とか操作はしていません)とか、自分の仕事の休日がたまたま私が講義をしている曜日だけだったなど、ほとんど“たまたま”なのです。

もちろん講座を受講された知人から勧められたからということもあるにはありますが、全体的に、たまたまとか、偶然とかで受講することになったというケースも少なくないわけです。

そもそも私自身が、マルセイユタロットとの出会いにおいて、最初からタロットを習おうとすら思っておらず、たまたま見た雑誌の広告に載っていたことがきっかけなのですから、不思議なものです。

ところが、最初は「たまたま」なのですが、その後、「たまたま」が「たまたま」ではなく、何か必然であったことがわかる場合があります。

特にこのタロットに出会う人は、その傾向が強いように感じます。

それがなぜなのかは、論理的には説明できませんが、やはり、「」やその時に出会う必然性のきっかけというものがあるのだと思えます。

時にはまるで、未来の時間から働きかけがあって、出会わせてくれているかのように感じることもあります。

しかし、マルセイユタロットに出会ったからと言って、自分にとってこれがどの程度のものになるのかは、その後の関わり方や相性・本当の縁によると思います。

最初に述べたように、今はあらゆる情報があり、自分にとってよい技術・方法というのも、いろいろな可能性があるわけです。

タロットがそれとなる人もいれば、そうでない人も、もちろんたくさんいらっしゃいます。こういうものは1つだけとは限らず、複数の場合もあります。

ですから、タロットそのものを「宝」として自分の成長に役立てることができる人もいれば、タロットを学習したことによって、それまですでに「宝」としてもっていたものが、さらに輝くことになった(タロットは補強や通過点)という人もいます。

またタロットを習ったことで、タロットに関連する新しいメソッドに出会って、それが「宝」となったという人もいらっしゃるでしょう。

中には、タロットを習い、さらにはそれを捨てることで、自分の本当の「宝」となる考えや技術をつかむ人もいると思います。

私たちは一人一人違う個性を持っています。だから、自分だけの「宝」というものがあるのです。

それは技術やモノが人と同じではあっても、自分の理解や扱いにおいては「オリジナル」なものになります。

実は「宝」は、自分自身であり、すでに誰でも最初から持っているものです。

従って技術とかメソッドは宝ではなく、自分という(自分が持つ)「宝」を引き出すための、自分にとって適性のあるツール・鍵といえるでしょう。

これが個性によって、相性的に、それぞれ個人で異なるのだと思います。

だから、自分を変えたり、活き活きとさせたり、安心させたりしてくれる方法というのは、人によって違っていて当たり前なのです。

私はそれが、たまたま(笑)マルセイユタロットでした。

タロットに出会える縁も興味深いのですが、タロットに縁を持つその人自身との出会いの縁もまた「縁」であり、その何重もの働く「縁」の不思議さとすばらしさに、感動せざるを得ません。

それは、世界(宇宙)はデザインされている、計画されているとさえ思う驚嘆さなのです。

あなたは何と出会えるでしょうか。

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