人間関係とマルセイユタロット

まず、お知らせですが、マルセイユタロット基礎講座神戸教室
の早期お申込み割引は、今月末までです。

それから新大阪教室は土日ベースの月ワンセットを3回で、合計6日間で10月からの開催を検討いたしております。ただ、神戸はすでに開講決定しておりますので、そちらのほうが確実です。

タロット講座はタロットの秘められた象徴の知識が得られるだけではなく、リーディング演習を繰り返すこで(講師からの解説がもちろんあります)、自分の課題とも向き合うことになり、自身の抱えている問題の解決、自己発展、人に癒しやサポートをしていく仕事へ踏み出すきっかけなどにも役立てることができます。

さて、本日の記事です。

マルセイユタロットは一言で言えば、宇宙やこの世界、人間のモデル・縮図・構図として描かれているものだと私は考えています。

ゆえにマルセイユタロットをそのものが世界であるわけです。この仕組みが頭と心でわからないと(つまり理論と実感)、なかなかマルセイユタロットへの信頼がおきません。

例えば意味を理解しても、自分にとって衝撃的ともいえるタロットの展開と実際の体験が結びつくようなことがないと、今ひとつ「生き物」的な感じがしません。(タロットは物理的にはカードですが、象徴的に生き物でもあります)

逆に、「うわー、タロットって本当に自分のことが出るんだ!」とか、「いやー、タロットはすごいよね、このカードでこのことが描かれているんだから」と驚くようなことがあっても、その体験が自分だけに留まらず、いわば全体や宇宙を貫いているかのような法則性・普遍性まで気がつかないと、本当の意味でのタロットを識ることにはならないでしょう。

そのようなタロット的考察でもって人間を見ていきますと、面白いことに気がついてきます。

タロットが人の共通の元型を象徴しているとするのなら、人はタロットカードに表される22枚と56枚のパターンを持ちます。(タロットをする人で22枚の大アルカナだけでよいという人もいますが、私は78枚すべてで考察しない成立しえないものと考えています、ただしタロットリーディングにおいて、必ずしも全部使用しなくてはならないという意味ではありません)

すると、結局、人は違っても全員同じ部分を持つという、よく言われる当たり前のことが理解できます。

同時に、ここがとても大切なことですが、全員同じではあっても、まったく同じ表現の人はいないということです。

カードで言えば強弱解釈であったり、位置の正逆であったり、展開した場合は出るカードの違いであったりすることで表されるでしょう。

そして人というものは、トータルでは同じものを誰しも持ちながら、自己表現ではそれぞれが全然異なるので、意見の食い違いや価値観の相違、好き嫌い、争いなどが生じると考えられます。同時にそれがまた魅力や関心、引き合うこと、多様さにつながっています。

ここで、だから自分と人との同じ部分を見ていき争いをなくしましょう・・・という主張をするつもりはありません。(それも悪いことではありませんが) 

人とのことより、まずは自分の構造を知る方が重要です。

そして対人関係においては、その人をトータルで見ようとする時と、一部(表現)で見ようとする場合とを区別したほうが現実的です。

大アルカナと小アルカナでいえば、大は同じで小の使いこなし方が異なると言ってもいいかもしれません。

対人関係の問題のひとつは、他人をトータルに見ようとし過ぎることと、逆に表現や価値観が同じ、あるいは違うとして、一部を強調し、その人を曲解して見ていることにあると言えます。

トータルで見ようとし過ぎるというのは、誰しも全部を他人には見せていないのに(本人ですら、全部ということがわからないのに)、全部だと誤解していることです。

タロットでいえば、78枚のカード全部を使ってあなたといつも対してはいませんよ、となります。Aさんには14枚、Bさんには8枚ということもあるわけです。また同じ枚数であって、カード種が異なります。

ですから、あなたの見ている誰それさんは、ほかの人の前で表現が変わり、極端にいえば別人のようにふるまっていることもあるわけです。

家族でも父親や母親としての部分、自分が子供の立場としての部分、兄弟関係での自分、職場では上司の部分、部下の部分、同僚としての部分、はたまた友人や趣味仲間と過ごしている時の自分・・・パーソナリティとしては各種自然に演じ分けているのです。

従って、人には表や裏を含めて様々にあると思えば、人格や行動すべてが自分のイメージ通りの人であるということはまずありえず、自分の見たい投影像が表されているのだと思うことで、あなたの知らない、あるいはイメージや理想とかけ離れたふるまいをその人に見たとしても、動揺が少なくなるわけです。

そして、自分が信頼したり、尊敬したりする人は、自分が持っている部分でもあり、表現したいものだということに気がつきます。(逆もまた然りで、嫌っている人にはその逆となります)

あと、一部だけを強調して見ようとすることも然りで、人はトータルにはタロットカード的に言えば78枚あるところ、私はあの人に「戦車」しか見ないとか、「星」があるから大好き、「悪魔」の部分があるから嫌だというような見方をすることであり、まさにその人の一部が好き・もしくは嫌いなだけで、それが極端になりすぎると、人というよりモノのようにその人を見ていることになります。

言い方を変えれば、その人自身ではなく、その人の持つ機能や所有物に興味や関心があるということになりますね。

ということは、それがなくなると、その人の魅力も失い、こんなはずではなかったと思うことにります。(反対に一部だけがものすごく強調されて、他の場面でのその人を想像することができず、鼻から嫌悪している場合もあります)

タロットは象徴なので多層な読み方ができますが、人間関係に特化して読み解くと、カードの枚数と象徴によって、非常に興味深いことがわかり、さらには改善方法(改善とは必ずしも、相手と仲良くなることだけを意味するのではありません)を見ることもできます。

それはタロットが全部をもって「人」を表しているからなのです。いや、おかしな言い方に聞こえるかもしれませんが、「人」が「タロット」をも表しているのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top