法則・規則・ルール 「正義」からの考察
タロットカードに「正義」というカードがあります。
タロットは象徴を示しますので、たくさんの意味が生じますが、「正義」は規則とかルールとか法則とか、そういうものも象徴するカードです。
そもそもが裁判をしている裁判官のような人物像で描かれているからです。(マルセイユタロット)
さて、このカードから「法則」というものを考察していますと、法則のレベルや次元、適用分野ということが浮かんできます。
私たちは、普通、自分たちの住む世界とフィールドにおいて適用される法則・規則を気にします。
ちょっと難しい表現をすれば、「自分がリアリティ(現実)を感じている時空間範囲において」と言うこともできます。
いずれにしても、ルールや規則を気にしないと、ルール違反となって不利益を被ることもあるからですし、法則や規則に則らないと、社会生活もまともにできないからです。そもそも他人に迷惑もかけてしまいます。
規則や法則は明文化された「法律」「条例」のようなものもありますが、やっかいなのは、文章化されていない暗黙のルールとか、「ここではそういうことになっている」みたいな習慣のような「目にに見えない規則」があるということです。
ここにも目に見える世界(表)と見えない世界(裏)の二元があるわけです。
私たちはいつも、どのような分野においても、実はこのふたつの世界(二元)を意識(潜在意識で意識している場合もあり)しているのです。
さて、目に見えない法則は難しいですが、目に見える(明文化される)法則や規則がわかりやすいかと言えば、必ずしもそうとは限りません。
いわゆる法の抜け穴を狙うという表現があるように、解釈や意味も幅が広くなることもあるからです。
また、所変われば法律も変わるということで、自分の地域や国には適用されても、他の所では非常識な法律になることもあります。
そうすると、世界ルールとして共通認識のあるものは、存外少ないものなのかもしれません。まあ、それは極めて当たり前であったり、抽象的な表現になったりするものなのでしょう。
ここで言いたいことは、個人(小さい範囲・個別認識)になればなるほど、ルールは複雑化し、細かくなっていくということです。
従って、一人一人の意識していたり、守っていたりするルールは、実は一般に思われているより、相当数が多いということなのです。
さきほど、目に見えないルールもあると言いました。それらも含めると、一人の人間が遵守している、あるいは守らされている規則やルール・法則は、いったいどれだけあるのかと思わせるものであり、言わば、人は、自分をがんじがらめに縛って人生を歩んでいるようなものです。
ですから、今一度、本当に守らなければいけないルールなのかを、大きな視点から思い返してみるのもよいでしょう。
あと、これは、スピリチュアル志向の人には特に言いたいですが、目に見えない世界にもきちんとしたルールがあるということです。
目に見えない世界に関心が行きすぎると、「奇跡も魔法もあるんだよ」みたいな感覚になり、摩訶不思議なことが起こせると妄想的に信じ込んでしまう人も出ますが、私が思うに、どんな世界においてもちゃんとした法則があり、それに従っていないと起きるものも起きないと考えています。
私たちがあることを魔法や奇跡に思ったり、見えたりしても、それは別の次元や世界ではルールに則った現象なのだということです。言い換えれば、論理的なのです。
ただその論理が、私たちの知っているルールや法則と違うだけです。
だから、できないものはできないですし、起きないものは起きないのです。逆に言えば、きちんとその世界においての理屈が立てば、起きるものは起きます。
ということは、盲目的に何でも信じ込んでしまうのではなく、私たちがこの世界でのルールに則って科学的態度で物事を探求していくように、別世界においてもその規則やルール・法則を知ろうとして、不思議と思えるものの成り立ちや発現の真理を理解する態度も大事なのではないかと、私自身は思っているのです。
ですから、信じることと疑うことのバランスは重要なのです。
コメントを残す