あせっている時 「節制」から
本日、浮かんできたタロットカードは「節制」でした。
「節制」と対話する形で見ていきますと、どうやら今回は「あせらない」ということがテーマとしてあるようで、それを書いてみたいと思います。
「あせらない」と言いますと、結局は、今その人はあせっているわけです。(苦笑)
ただ、「あせっている」と言っても、様々な「あせり」の状況と対応策があります。
結果を早く出したいと思ってあせっているものもあれば、結果が出ないからあせっているという場合もあるでしょう。
一方、変わらないことへのあせりもあれば、周囲が急速に変わっているのに対応できないあせりもあります。
ですから、あせりを感じている時は、まずじっくりと自身や状況を改めて観察してみることが重要です。
いったい、そのあせりは何に対するあせりなのかということを見極めるのてす。
それにより、対応も変わってくるからです。
お金に対するあせりや不安と思っていても、よく分析してみると、ある人との関係が壊れるかもしれないと言うことが本質のあせりだったり、将来の考えていた自分の可能性がなくなることへのあせり(可能性が限定されている場合もあり、それは幻想や思い込みのこともあります)であったりします。
一般的に「あせっている」時は、何もしないほうがいいように思われがちですが、そうとも限りません。
逆に何もしないほうが、もっとあせりを自らに生み出す(追い込む)ことにもなりかねません。
特に、結果が出ないことへのあせりの場合、何もしないことに耐えられる人は少ないと思います。
のんびりしたり、ゆっくり落ち着くことができたりすれば、そもそもあせりなど生じないからです。
もちろん物事には成就する期間、効果の出るタイミングというものがあり、それがまだ到来していない、期が熟していないということもあります。その場合は、待つ必要があるでしょう。
とはいえ、一刻も早く結果を出さねばならないのに、その状況で何もしなかったり、放置したりすることはかなり困難だと現実的には言えます。
やたらめったら動く必要はありませんが、単純作業をしたり、学びを復習したりすることで、落ち着いてくることもあります。
あせると自分の独力でやり遂げようとしてますます泥沼にはまったり、逆に、あせりからいろいろな人の意見や情報を入れてしまって、わけがわからなくなったりすることもあります。
素直な心で特定の専門家に頼ったり、自分の本当にやりたいこと、またはやりたくないことに従って行動したりするのも、あせりの対応策です。
また、あせりはスピード・速度と関係します。
何かの速度や回転のタイミングがおかしくなっている、もしくはバランスを崩してしまっていることに問題があります。
マルセイユタロットでいえば、「運命の輪」や「吊るし」、「戦車」とも関連します。
要するに、早く(速く)したり、遅くしたりすることの感覚、または対象をズラすとよいわけです。
簡単にいえば、それまでスピードを速くしていたところをゆっくりにし、反対に遅くところを速くするみたいなことです。
結果を出すということは、結果に対して速度を上げることに拘っているわけですが、その結果の速度を緩め、本当にどうしてもその速度(期限等も含む)でなければならないのか検討してみることです。
また、対策を立てたり、行動に移したり、思考・アイデアを変えたりすることは、もしかすると今までゆっくりだったかもしれませんが、。今度は、それを速くすることです。
精神や心のことであれ、実際の現実・物理的・行動の分野であれ、そこにはスピードや速度、タイミングというものが働いています。
これまではうまく行っていたものも、周囲や自分の知らず知らずの変化によって、その回転率やスピードは次第に変わってきます。
そのため、歯車がぎくしゃくするかのように、順調なものもうまくいかなくなり(かみ合わなくなり)、それで結果の出ないことや、物事が悪化してきたことに対してあせりが出るわけです。(もちろん悪化の理由はそれだけではないでしょうが、スピードやタイミングも大きく関わっていると考えられます)
ですから、あせった時に見直すべき事項のひとつは、時間・速度のかけ方ということになります。「吊るし」の象徴のように、これまでとは反対に逆転してみるとよいかもしれないのです。
何事もバランスであり、悪いと思ったことにもよいものの種が内包され、反対に良いと思ったものにも、悪いことのきっかけになっていることがあります。
あせりは、穏やかなる境地や状況を獲得するための一過程であり、振り子の一方だと見れば、あせることがあるのも当然であり、ひとしきりあせることで、そのあとに改革や変容へと、ゆっくり舵が切られていくわけです。
マルセイユタロットはリバースだろうか、正立だろうが、わかってくれば出たカードはすべて「救済」だと気づいてきます。
それはミクロ的には「節制」の重要な意味でもあります。
あせりも福音であり、その分、平安の尊さにも気がつくことになりますし、あせりを克服すれば、経験値も上がり、それまでより広い視野と高い次元を獲得することができます。
さらにはかつての自分と同じ次元であせっている人に対し、アドバイスやサポート、救済をもたらすことができるのです。
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