多様な見方と完全性
マルセイユタロットでは、自己の成長過程を見る順番とカードの関係というものがあります。
しかし、その見方は実は単純なものではなく、横方向意外にも縦方向、時には斜めやクロスとして観る場合もあります。そして逆方向に進む(戻る)見方もあるのです。
私たちの人生もそうした多様な見方をすると面白いです。
だいたいにおいて、何かに悩んだり、落ち込んだり、袋小路に陥ったりしている時は、モノの見方が一方向に偏っていることが多いものです。
自分の信念や思い込みが極端であったり、ひとつの信仰に近いものを抱いていたりすると、やはり考え方や行動に硬直してきたものが出てきます。
要するに、固さには柔らかさが必要であり、逆に柔らかくなりすぎると固さも必要になってきます。
ただ、意外に思うかもしれませんが、柔らかさも固さも、どちらにおいても、結局は多様性(多様なものの見方)が必要になってきます。
柔らかさではわかるでしょうが、固さでもそうなのです。簡単に言えば、ひとつの信念や意志を固めるには、ほかとの違いがたくさんわかったほうがいいいからです。
つまり個性は多様性から生まれるということです。
さて、人生の見方をシンプルながらも少し多様性を持たせる見方として、始まりから見る方法と終わりから見る方法があります。
始まりから見るというのは、誰もが普通に思うやり方で、自分の生まれた時から今に至るまで、そして未来に今後続いていくという生から死に向かっての方向性です。
終わりから見るというのは、文字通り終末、つまり死から生(誕生)に向けて振り返っていくような方向性です。
例えば、自分の人生、まだまだ何年もあるよと思うか、もうあと何年間しか満足に活動する時間がないと思うかの違いです。
もちろん自分が死ぬ時なんていうものはわかりませんから、平均寿命やだいたいの感覚でしか終わりは予想できませんが、それでも残りの人生を、まだまだあると見るのか、もうこれだけしかないかも・・と見るのとでは、いろいろなことが変わってくると思います。
どちらの見方をすべきかとか、どちらが正しいというのではありません。ひとつのモノの見方を多層や多様にする一案ということです。
そうすれば、あせっている時は「まだまだある」と考えられますし、何だか毎日同じ事ばかりの繰り返しで充実していない、退屈だと思っていると、「もうこれだけしかない」と見て、奮起することもできるかもしれないのです。
あと、できるだけ自分は完璧な世界(宇宙)に住んでいると思うとよいでしょう。
不幸を感じたり、困難な人生で思ったりする時は誰でもありますが、それでもこの世の中、宇宙は完全で完璧だと考えるのです。
そうすると自分のとらえ方が実は完全ではなく、そのせいで、「よくない状態」と自分が思っているだけと見る向きが出ます。言わば、社会や人のせいにしにくくなるのです。
ただし、これ(宇宙は完璧という考え)もいろいろな見方があり、段階・レベルによっては、あえて完全ではないような様相になっていると思うこともできます。
変な表現でわかりづらいかもしれませんが、この世は完全で完璧ではあるものの、同時に矛盾に満ち、不完全極まりない世界でもあるのです。
もう少し別の言い方をすれば、不完全と思わせる実働部隊のようなものが存在する(自分の見方・とらえ方も含めて)と考えればよいかもしれません。
ですから、つまるところ、多様な見方を獲得する術を身につけるとよいのです。
多方面から見て考えることができれば、自分がはまっている罠や、完全なるものを一部しか見ていない(見せられていない)ことに気がつく可能性がそれだけ高くなるからです。
自分が一瞬一瞬においても、どんな状況においても、完全性(中立性でもあります)を見つけること、それに戻していくことによって、まさに世界や宇宙、もちろんあなた自身も完全へと回帰していくわけです。
その前提では、やはり宇宙は完璧で完全であると想定する必要があるのです。
マルセイユタロットはまさにそのことを描いており、私たちが完全性を回復させるためのツールだと言えるのです。
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