ロールプレイングゲームと人生
皆さんはロールプレイングゲームというものをしたことがあるでしょうか?
ゲーム好きな人は当たり前のようにされているでしょうが、ゲームをやらない人には何それ?と思うかもしれません。
私も昔はゲームをしていた時もありますが、今はゲームをしませんので、最近のそれがどんなものかはわかりません。
たぶん、相当複雑で映像や動画もすごいことになっているのでしょうし、ほかの人(の作るキャラクター)とも交流しながらだというのも普通にあると思います。
さて、このロールプレイングゲーム、実は結構私たちの世界の仕組みを、単純にモデル化したものではないかと思うことがあります。
ゲームを進行していく時、最初は自分の選択するキャラクター単独であっても、やがてパーティーと言って仲間や組を作らねばならず、そうしないと敵を倒したり、イベント(事件)に対応したりすることが難しくなります。
その仲間も、それぞれが得意技と弱点を持っており、要するに、長所短所があるわけです。場面やシーンによっては、短所と思っていたのが長所になることもあれば、その逆もあります。
さらにはみんな個性があって、それがゲームをクリアーするためには必要な能力であったり性質であったりします。ある意味、全員ゲームにとっては必要な人と言えます。
とにかくゲーム者は自分のキャラを中心に、そういった仲間や組の人たちの特質も把握しながら、うまくゲームを進行していかなくてはなりません。
また、ロールプレイングゲームの面白いところは、何かのイベント発生や武器・秘密アイテムを手に入れるには、特殊な条件をクリアーしないといけなかったり、ある品物を入手する必要があったり、決められた場所に所定のタイミングで行かないといけなかったりと、条件が様々にちりばめられています。
そしてその条件の選択とイベントの発生具合によって、ゲームの流れがそれぞれ枝分かれしてきて、過程はもちろん、最終結果まで変わることがあります。
こう見ると、ゲームの世界はまるで私たちの人生そのものと言えましょう。
出会う人も違えば、起こるタイミング、経験したことの様々な種類によって、発生する事件も変わってきますし、プロセスと結果も違ってくる、人生と同じです。
あることを起こす(あることが起こる)には、あるものと、ある人と、ある所と、あるタイミングが結びつかないと生じない・・・ひとつでも異なると、また別のイベントや体験が起こる仕組み(仕掛け)になっている・・・と見ると、一人一人の人生と重ね合わせることができます。
ところでゲームにはゲーム世界のルール・設定があります。そのルールからはずれたことは起こりません。まあ、これはゲームの場合は制作者のプログラミングと世界観ということになるでしょう。
このゲームのルールやブログロムに当たるのが、まさに神や宇宙のルール・法則と言ってもいいでしょう。
ところが、ゲームとは違う点があります。それがマルセイユタロットなどに伝えられている内容であり、古代では普遍的に伝承されている「人は神性を持つ存在である」ということ、もっと究極的に言えば、「人は神(になれる存在)である」ということです。
ということは、自分自身がゲームの枠・ルールを超えてその世界から脱することもできれば、ゲーム内のルールを自分で変えることも可能なわけです。
ただし、ほとんどの人は自分がゲームをしていることすら自覚していません。自覚(覚醒といえます)しなければ、ルールを変えることも不可能です。
多くの人は、いわば自分が作ったゲームの中に分身として入り込み、その制約やルール(これも演出道具として自分が創っている)のもとでゲームに熱中するあまり、自分がゲームの制作者であることも忘れてしまっている状態と言えましょう。
家の子供のように、おかーちゃん(笑)から「あんた、いつまでゲームやってんの!」と怒られることもないので、ずっとゲームをしたままです。
しかしこのおかーちゃんは、実は女神としてあなたに声かけしてくれているのですが、子供(私たち)は「うるさいなあ」と耳栓をしているので、聞こえない状態です。(ギャグのようですが、古代伝承的には非常に重要な例えをしています。
さて、今回はこのゲーム脱出の話がメインではありません。(脱出の話はグノーシスと関係し、マルセイユタロットの真髄になります)
多くの人はゲームへの脱出より、ゲームの得点を上げたり、ゲームを盛り上げたりすることに力を入れます。
そういうシステムなので、それも仕方ないと言いますか、ある目的のこともあるので、悪いことではないと思います。
前のほうの文章で、ロールプレイングゲームのイベント発生の仕組みについて述べました。
これが、この人生というゲームを面白くしたり、自分にとってスムースに進めたりするためのヒントになる気がします。
イベント発生にはある条件が整う必要があると言いました。
ということは、逆にいえば条件が整えばイベントは発生し、そして整うまではやはり発生しないことになります。
またもし条件がわかれば、イベントは意図的に、また促進的に発生させることができることになります。
ここから考えて、条件がわからない時は、数打ちゃ当たる方式で行うか、自分が経験したイベントを、すでに発生させている人から条件や道筋を聞くかということが有効な方法として思いつきます。
前者はとにかく興味を持ったことにはどんどんチャレンジしていくということになりますし、後者は先人の教えや経験者、知恵者から話を聞いたり学んだりするということにるかもしれません。
またタイミングというプログラムもされていますので、物や人の条件が整っても、時期が合わなければ発生しないこともあります。ですから、タイミングということも重要です。
物事が起こったり、成果が出たりするまでに、それなりの時期が必要なのだと見ると、あせらずにすみます。
それから時々、ゲームの中には重要な示唆を与える占い師のような人や、お告げを与える託宣者のような人物も出ることがあります。
その人の言うことが全部正しいとは限りませんが(詐欺師や惑わす人もゲームには登場します)、象徴的に極めて重要なことを述べている場合があります。
それどころか、ゲーム自体の秘密に関係していることもあります。
そしてゲームでは、何回挑戦しても敗れてしまう相手とか、うまく行かない事件とかがあります。
その場合、たいていゲーム者があせっています。まるでギャンブル中毒の人のように、今度こそと思って、同じ方法でやってしまい、また負けてしまうわけです。
こういうものをクリアーしたい場合、冷静に相手や敵を分析し、攻略本みたいなものも読み、相手を倒す弱点を知ったり、武器・アイテムを入手しなくてはなりません。
感情的になればなるほどクリアーは遠のきます。
とはいえ、何度も繰り返している内に、経験ポイントがあがったり、それなりに戦い方も慣れたりはします。
そして、ある時にふとクリティカルヒットを叩き込むことができる場合があります。
ゲームでは敵に負けるとライフポイントがゼロになってゲームのキャラは死ぬわけですが、ゲームなので、もちろんゲームをしている人が死ぬのではなく、セーブしたデータのところからやり直しとなります。
人生ではこれが輪廻転生と想像できるかもしれません。
何度も同じパターンをクリアーしようとチャレンジしているわけです。けれどもゲーム同様、まったく同じ戦法ではまたやられてしまうかもしれません。
きっとあなたの中には、今現実に困難なことでも、どこかに何度も過去生のようなもので挑戦してきたその記憶が残っており、経験値とともに、今生での冷静な対応、効果的な方策によっては、乗り越えるべきことも可能だと思われます。
ヒントは今生で感じる「イレギュラーな」出来事にあると言えましょう。
いずれにしましても、人生をロールプレイングゲームのように象徴として見ることで、意外な視点や打開策を見つけ出すことができるかもしれません。
ロールプレイングゲームはあくまでひとつの提案に過ぎません。つまりは人生を俯瞰するという視点を獲得してみましょうと言っているのであり、それは別にゲームでなくても何でもよいのです。
私もマルセイユタロットをしてきたおかげで、ゲームともリンクさせることができているのですから。
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