自己解放に起こる誘惑
マルセイユタロットの「悪魔」がにやりと笑いながら、語りかけているようにも感じられますが、自己解放や自己改革を志すと、面白いことが起こってきます。
それは何もかもうまく行くような感覚であったり、逆にとても苦しい状況やアクシデントが生じたり、自分を中毒にさせるようなことが現れたりします。
そのほとんどは、実は解放のための抵抗や浄化であるのです。
しかしながら、形や表現(現れ方)としては、個人個人違ってきます。
この理由としては、私たちが種として同じ人間ではありますが、やはり一人ひとり個性を持つ存在だからです。まあ、考えてみれば当然です。
言ってみれば、人の数だけ世界(観)があるのです。
ですから、その抵抗や浄化のプロセスや表現も、人によって違うのです。
この抵抗や浄化の創造(生み出しの)ヒントとなるのは、私たちが夜に見る夢のような感じと述べてもよいでしょう。
夢も、その多くは自分の体験していること、経験したこと、実際の環境や出来事を素材にしていると言われます。
まったくの知らない世界を夢で見ることもありますが、たいていはどこかで見たようなシーンが、非現実的に表現されているのが夢です。
夢は時間や空間(場所)、モノや人などが、現実のような現われ方や進み方をせず、ランダムや支離滅裂に登場するので、非現実のように見えるわけです。
これは、抽象世界と現実世界という関係性において、タロットの大アルカナと小アルカナの関係と実は似ているところがあります。
さて、こうした夢のシステムと同じように、自己解放の過程で出現する抵抗や浄化も、一人ひとりの経験や願望と、現実性の材料・素材を利用しながら、生み出されてきます。
それらがわかりやすい「抵抗」表現ならばいいのですが、やっかいなのが、冒頭で示したマルセイユタロットでいう「悪魔」に関する抵抗や浄化なのです。
これは、「誘惑」や「現生利益」などによってなされてくることがあるからです。
言ってみれば、自分の奥底に隠していた願望とか欲望、また心地よいと思えるような感覚や状況、過去に体験した成功体験と似たような状態など、これらの現実表現をもって、自分の目の前に新しい形で再現、もしくは環境が整えられるかのように現れるのです。
具体的には、素敵だと思える彼氏や彼女が現れた、経済的に潤いそうな話が出てきた、急に目に見えないものやエネルギー的なものがわかるようになった、楽しい友人が増えた・・・というような現象です。
先述したように、これはひとりひとりの状況に応じて現れますので、厳密には人とまったく同じことはないでしょう。
ただし本質的にも同じものなのです。
重要なことは、出現したことは、あなたの願望が投影されているものであるということです。
またこれらが必ずしも悪いわけではなく、誘惑でありながら誘惑を超えるものとして自分で変えていくこともできます。(ほかにも抵抗や浄化ではなく、真実によい状況として起こったという場合もあります)
これが誘惑的抵抗(浄化)なのかどうかのひとつの目安としては、起こったことを経験していく中で、ふと気がつけば、快楽や楽しい気分ばかりの反面、どこか自分が苦しいところがある、実際に心か体にダメージを受けたり、もやもやしていたり、まったく進歩していないというような感覚があったりする・・・などのことがあれば、それは誘惑という形で自分の解放に抵抗を受けている状態だと見ることができます。
ただ、それが「誘惑」の「抵抗」「浄化」であるということに気がつけば、その葛藤や悩みから、新しい光や解決の道を見出すことも可能です。
そうすることで、「誘惑体験のおかげで、自分はもっと成長することができた」という実感が得られるのです。
これが誘惑でありながら誘惑を超えるという道です。
マルセイユタロットでは「悪魔」と「神の家」でもってこれを表すことができます。
誘惑の意味に気がつかず、そのまま快楽と自分の欲求成就の海にどっぷりと浸かってしまっては、なかなか抜け出すことができないばかりか、自己解放への回り道と後戻りをすることになりかねません。
起こっている現実の事態そのものにはまらないことです。その本質を見ることが重要です。
「一体、この体験は私に何を意味し、自身の抵抗を示しているのだろうか?」と観察するような姿勢が大切なのです。
ただし、どのような選択と体験をしようとも、すでにあなたが自己解放や自己改革の道を意識した時点で、すでにあなたは遠い未来かどこかのパラレルワールドで悟っている(自己解放が達成されている)とも言えますので、大いなる目で見れば安心といえば安心なのです。
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