ふたつの時間とその統合

3月に入り、「すでにもう3月か」という気分の人もいらっしゃるでしょう。

本当に時間が経つのは速く感じます。一説には、実際にスピードが上がっているのではないかという話もありますが、年齢のせいもあるのかもしれませんね。(笑)

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では本日の記事です。

さきほど時間のことが出ましたので、時間に関係すると考えられるタロットの「運命の輪」もアピールしてきているように感じますので(笑)、時間をテーマに少し書いてみようと思います。

スピリチュアルでは、よく時間というのは幻想だと言われます。

と言われても、実際には時が経過するのは感じますし、今日が終われば明日が必ず来ることで日が経ち、それが重なり年も過ぎていくことを私たちは経験します。

時間がない、幻想だと言っても、あるものはあるのです。

一方で、これもよく言われることですが、時間には大きく分けて2種類あり、ひとつは時計的時間と言いますか、普遍的に刻まれていく一般の時間と、もうひとつは、一人一人個人が感じる感覚時間のようなものがあるとされています。

後者の、いわば個人時間というのは、つらい時はとても長く時間を感じ、楽しい時はすぐ過ぎるといった例えで見るとわかりやすいでしょう。

要するに、普通の時間とともに、個人の意識や感覚で流れる時間もあるのだということです。

ところでマルセイユタロットでは、二元とその統合というテーマが入っているのですが、これは簡単にいえば、宇宙の表現である「ふたつのもの」を「ひとつに戻す」「ひとつに統合する」というようなことになります。

陰陽に分かれているものを、どちらでもなく、またどちらでもある太極に還元すると言い換えてもよいでしょうか。

ふたつのもの、二元というのは、様々な表現で現れ、例えば物質と精神という対比も二元になります。

これ(二元)が時間にもあると考えてみましょう。

そうすると一般時間個人の感覚時間があるわけで、いわば、物理時間と精神時間のようなものといえます。

物理的なものは、ある種のこの世(私たちの生きる次元)のルール・規則であり、なかなか普通には変えることができないものです。

持っていたモノを上から放すと地面のほうに向かって落ちるというのは万有引力の法則で、磁場とか電気とか、風力とか、ほかの何かのエネルギーの影響を受けない限り、必ず落ちます。(地面に引かれます)

これと同様に、一般時間、物理的時間も容易には変えることができません。

従って物理的時間は全員が従わなくてはならないルール、個人の意志とは別に集合的意識の合意の上に決定している事項での時間といえましょう。

ですから万人に共通ですし、個人が勝手に変えることはできないわけです。

とはいえ、例えば本当の私たちが目にする法律でも、厳格な法律の抜け道(穴)を利用することもないわけではありません。

しかしながら、それはとても労力と知識のいることであり、投資の割には利益は少ないことが多いでしょう。ただし抜け道を見つけた人は、すごい力を発揮することにもなります。

またそこ(抜け道を見つける)までせずとも、与えられたルール・規則の中で、効率よく活用したり、活動したりするということは普通に考えられることです。

同じ条件であっても、それでも知恵や工夫によって変わってくる部分はあるということです。これが「時間」をテーマにすれば、例えば時間の有効活用、時間の効率的な使い方みたいなことになります。

それを本を読んだり、セミナーを受けたり、コンサルしてもらったりして、学び身につけることは可能です。

ということで、物理的時間への対策は、あることはあるのです。

しかしながら、やはり物理的時間へのアプローチは、決まりのある中のものなので限界があります。物理的に、一日24時間を36時間にすることはできないのです。

そこで、現実に生きている(からこそ)私たちが働きかけるのは、物理時間よりも個人(で感じる)時間のほうに目を向けるほうが、自由度においても効果があるのではないかということが言えるわけです。

これは結局、「生きることをどう感じるか」ということになってきます。

言い換えれば、人生が充実している、生きていることはすばらしい、人生が楽しいと思えることが重要だということです。

少なくとも、つらいと感じる時間をこれ以上増やしたり、続けたりすると、個人時間において、あまりにもったいないことをしていると言えます

もうひとつ、非常に大事なことは、さきほど出た「二元」の話と関係することです。

説明すると長くなるのでまたの機会に譲りますが、物理(一般)時間と精神(個人)時間を統合すると、時間の本質が現れてくるのです。

それは一言でいうと、時間があるようでない、ないようであるみたいな、幻想である時間の実体の自覚です。

ふたつの時間の統合とはどのようなものかは、ひとつ例にしますと、精神時間に物理時間がついてきているような、あるいはその逆の、物理時間の中で精神時間がコントロールされるような不思議な感覚です。

これは「夢中になって気がついてみると、あっという間に一時間経過していた」というのとは違います。

この場合は、精神時間に移行して物理的時間から離れている状態といえます。

私のいうのは、物理時間の1時間というのをきちんと意識しながら、同時に精神時間で2時間も3時間も体験できることを確信するような状態です。

普通1時間で終えられない(2時間はかかる)と思う作業が、自分には1時間でできることが直観でわかるというものになるでしょうか。

物理時間は物理時間で、きちんと24時間あることをわかっていて、それでも精神は自由自在に時間を体験しているようなものです。

一見これは時間に縛られているように見えますが、ある意味、内的には自由で、物理時間という制約が制約でなくなってくるので、制約状態のものを制約ではないと強く認識し、確信ができてくると、それ(制約)はあやふやなものに変化して固定場が緩み、実体として存在しにくくなっていくのです。

つまりは、マルセイユタロットでいえば「正義」で象徴される制約や規則のような状態から、不透明な「月」のようなものに変わるということです。

すると自分自身はますます愚者(自由)化していくようなことになるでしょう。(「愚者」と「月」の関連もあるのです)

いずれにしましても、まずは精神時間をどのようにとらえ、活用するのかということは、とても現実的にも重要であることがわかります。

簡単にいえば、内的・精神的なものの考え方・思い方の幅を増やし、多様なモノの見方を獲得することが、まずは鍵となってきます。

そのためにマルセイユタロットは使えるのです。

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