自分を愛することからの自由や幸せ
対人的なタロットリーディングでは、一人一人への問題と、それに対するタロット展開となりますので、もっぱら個別的なものとなります。
個別的というのは、当たり前ですが、一人一人違うということです。
相談というものに対して、たとえばプロ養成の講座などでは、どうしても概論的なものや、相談内容の種類・タイプ別に講義することもありますが、実際の相談は、まさしく個別的なもので、一人一人違うのが当然です。
従って、机上の空論では通じないところもありますし、場数を踏む必要性もあります。
しかしながら、だからといって、理論やタイプ・ケースを学ぶ必要がないのかといえば、そうではなく、それらを学ぶ重要性ももちろんあります。
それは色々な理由はあるのですが、一言でいえば、タロットの全体構成・構図と同じで、人それぞれは個別的でありながら、「人間」として象徴的に型や同じような傾向もあるからです。
相談スタイルを学習することは、実は相談への適応スピードを速くすることであり、個別的な応用力を発揮するための王道でもあるのです。
矛盾するようですが、このことがわからなければ、タロットが表していることそのものへの理解も深めることができないでしょう。
さて、そうしたタロットを使った相談をしている中で、人の大まかな傾向を挙げるとすれば、以下のようなことが、ひとつ、言えると思っています。
それは、
「自分を愛せるようになればなるほど、自由になってくる」
ということです。
これは最近に始まったことではなく、スピリチュアル系でも心理系でも、「自分を愛する」ということや「感謝の気持ちを持つ」ということはよく言われます。
ただ、これでは言い方があいまいでもあるので、もう少し解説的に言えば、「自己への評価が高まれば高まるほど自信が持て、自分自身を生きる実感が増える」ということになるでしょうか。それでもこれは、少し次元を落とした(具体的にした)言い方です。
実は「自己の評価が高まる」と言い方もまた曲者で、えらそーになるわけではもちろんありませんし、ポジティブに、「私すばらしい!」「オレ(ワタシ)ってできるヤツ(ヒト)」というような感じ方とも違うのですね。
感覚的に言えば、いいも悪いもひっくるめて、全部私だと認めたうえで、そんな私は私として生かされている、生きている、みたいなものと言ったほうがいいでしょうか。
問題や迷いが生じると、「何のために生きるのか?」というより、「自分を生きているか?」「どんな人生を送りたいか?」という質問を問いかけると、自ずとわかってきます。
その答えを全うする人生こそが、結局のところ、自己評価を上げることにつながり、自分を愛することになってくると考えられます。
そのあとで、何のために、そして、どのように生きるのかという問いをして、答えていく(応えていく)とよいでしょう。
最初から「何のために生きるのか?」と問いかけると、かなり哲学的になったり、余計考えすぎたりして、泥沼にはまる場合があるからです。
またこの問いは、多分に自己犠牲的な危険性もはらんでいます。
ただ、現実的なことに空しさを感じたり、俗物的な状況にまみれたりした時には、この問いかけも有効になってきます。
人は肉体を持ち、感情を持ち、魂(スピリット・高次の部分)を持って現実世界で生きています。
肉体的・物質的欲求をかなえるためだけに生きたり、他人のために過度に生きたり、肉体や現実を忘れて抽象的に生き過ぎたりすると、バランスが崩れ、その修正のために事件や問題と思える状況が発生します。
結局、自分を愛するということは、少なくとも自分のこの3つの部分(肉体、感情・精神、霊・魂)を愛する(3つの部分にかなう)ことが必要です。
言わば、天(全・神・宇宙)に、人(自分・他人・関係する人々)に、地(物質・環境・自然)に、そのどれもかなっている、筋道が立つみたいなものが、現実的に生きる場合において、もっとも「自分を愛する」ことにつながるのではないかと思っています。
全部に完璧というのではなく、生き方の個性として、個や地に根ざしながら、天と人を意識する場合もあれば、人にベースを置きながら、天と地を考慮するという方法もあります。
家族ために生きるのもよし、ビジネスで稼ぐのもよし、ボランティアで恵まれない人に援助するのもよし、です。
それは、まさしくそれぞれの個性的な生き方によりますし、それが許されているのがまたこの現実世界と言えましょう。
ただ、それが一つ所に偏って、お金だけとか、過度な他人の幸せのためにとか、自分の欲求が満足することに集中(人に貢献がない)とか、そうなるのが問題だと言っているのです。
マルセイユタロットでは特に「正義」と「節制」、そして「悪魔」と「手品師」、「世界」と「戦車」のそれぞれの二組を意識しながら、「力」を中心にすえるようなイメージです。
自分の中の神を愛し、悪魔も愛します。そうすると、人の中の神や天使、悪魔も見えてきます。
自分から愛せない人は、他人に愛してもらうことで、他人が愛してくれる「自分」というものに気がつきます。
人から愛を注いでもらえるくらい、肉体も心もスピリットも、価値があることを意識するのです。
人からの愛を実感できない人でも、動物や自然などから感じることはできます。
例えば自分にすり寄ってくる猫に、自分が愛される(すり寄ってこられるというだけでもよしとする)価値を見出すというような具合です。
自分が愛せないと自分を愛せるようになるまで、自ら苦しい状況を設定させます。他人からの自分への扱いが、まるで価値のない人のようになるのです。
お金の面でも同じかもしれません。自分が無価値だと思えば思うほど、あなたに支払う(支払われる)エネルギーとしてのお金も少ないものとなっていくわけです。
マルセイユタロットは、自分の中に愛や神性を発見していくカードとも言えます。
一枚一枚、象徴を理解してくと、突如、自分の中にカードに表される神性や愛が存在することに気づき、それがわかった時、実際にそれを味わうことが現実で起こるのです。
コメントを残す