おかしな思い、世界観が自身を救うこともある。
人は前向きで、積極的な態度に魅力を感じたり、それがいいことだと思ったりします。
後ろ向きな態度、消極的、さらには引きこもりや逃避という行動は、ネガティブで悪いものだという思いすらあります。
しかし、考えてもみてください。
ずっと積極的で前向きな人などいませんし、その反対に、一生引き籠もっている人などなかなかいないでしょう。
ただ、その傾向や程度・表現・レベルの違いがあるだけなのです。
例えば、全員、引きこもりで、家の外にはほとんど出ないという人の集団の中で、一人だけ、一日一回くらいは外に出るという人がいれば、その人は集団からは「行動的・積極的」な人と映るでしょう。
しかし、その外に出る人は、週に1回しか外に出ない人なのですから、普通の生活をしている人から見れば、消極的なニートの人だと思うはずです。時には病的な人と見られるかもしれません。
また、この一日一回程度だけ外に出る人は、その集団の中で食料調達とか、ニート生活の中で生きるためにやむを得ない役割があり、渋々出ているのかもしれません。
ならばその人は積極的とは言えないかもしれないのです。
さらに、一般的にも、人生で消極的な傾向にあった人が、何かのきっかけで積極的に変わることもあれば、その反対もあり得ます。
こうやって見ていきますと、積極的とか消極的とか、活動的とか受け身であるとかは、片方に偏っているわけではないのがわかります。大切なのは、どのレベルでどの程度の表現をするか、選択したいかということになるでしょう。
そして、これらのことはマルセイユタロットでも描かれていることです。
さて、実は今日書きたいことは、これだけではありません。むしろ本題はこちらです。(笑)
それを簡潔な文章で表してみまと、
「正常な範囲での異常は、その人の精神を守ったり、浄化することができる」ということになります。
これは逆も言えて、「一見、異常な世界観を持ってはいるけれども、正常にふるまうことができる範囲であるならば、それはその人の救い(の世界観)になる(こともある)」ということです。
平たくいえば、妄想や洗脳でも、その人にとっては救済や浄化になることがあると言っています。
科学的な目線では、天使とか神とか悪魔とかなど、そうした存在を証明したり、論じたりすることはできません。
スピリチュアルなことが現実離れしていると批判される所以でもあります。
しかし、例えば、「天使」という存在を仮定し、その人が自分の世界観の中で、天使がいると本気で思うことで、その人の精神バランスが働いたり、本当の意味でおかしくなってしまうのを防いだりすることがあるのです。
しかも「天使」という特性・存在を、たとえ物語や空想の世界から引用して意味づけや性格付けをしたとしても、その人がリアリティを持って天使存在を感じるのであれば、その人の中の何かを浄化したり、天使の表す援助やクリアーな気持ちを、自分や他人にもたらしたりすることが実際に可能になるのです。
常識的な言い方をすれば、何かを信じることでの行動のきっかけになっている、と言えますが、実はそういうレベルではなく、本当にエネルギーのようなもので、その人を動かし、その人を浄化し、守るのです。
ただ、これも考え方の違いでしかありませんが、天使という存在からのエネルギーというより、自分が天使の特性を発動させることができたということになります。つまりは自分自身の力です。
けれども、注意しないといけないのは、それは自分の力とは言っても、自分の普段意識しているような自分のパワーではなく、タロットでいえば、「力」のカードの象徴する「フォース」のようなものです。
内に眠る高次とリンクして生ずる力であり、自分であって自分でないものですし、またやはり自分でもあるものです。
ということは、その力をどう使うか、どんな精神性で発動するかによって、フォースに取り込まれるか、そうでないかの違いを生むと考えられます。
※余談ですが、映画「スターウォーズ」は、一面ではこのことを描いています。
天使のようでいて、悪魔になったり、悪魔のようでいて天使になったりという言い方にも置き換えられるでしょう。
ということで、一般的には変な妄想をしているとか、おかしなことを信じているとか、洗脳させられているのではないかという状況でも、その人がそれにより、きちんと社会生活や人との普通のコミュニション・思考ができるバランスにある場合は、むしろ重要な守護や救い、拠り所になっていることもあるわけです。
それを信じていない状況のほうが、本当にその人がおかしくなってしまうこともあります。
従って、ニートや引きこもり、消極的、逃避、ちょっと人とコミュニケーションが取りにくい人の行動においても、ある世界観を信じることが、その人の救いになることがあり得ます。
ただ、病と紙一重のところもありますので、統合失調気味(昔でいう分裂気質)の人、そういう傾向の人は、行き過ぎると病的なレベルに墜ちてしまうこともあるので、注意は必要ですが。
人の救済やバランスは、まさに千差万別であり、個性があるものです。
一般的な価値観とは正反対のものでも、その人には幸せとか成功だと感じることもあることは、知っておいたほうがいいと思います。
そうすると、自分自身の本当の幸福感への選択ができます。
ただし、社会(他人との共同)生活でのルール・法律・常識の中で生きていることも忘れないようにしないと、極端なことを言えば、自分が幸せなら何をしてもいいという自分勝手、さらには犯罪をしてもよいとさえ思う論理になりますので、気をつけましょう。(笑)
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