私たちはほとんど寝ているということ。

顕在(表面)意識と潜在意識ということがよく言われます。

スピリチュアルや心理の分野で大流行(おおはやり)の枠組といってもいい概念かもしれませんね。

そして大体は、潜在意識をどう扱うか、そこに刻印されていることをどのように知り、変えていくかみたいなことがテーマとなっているように思います。

それも大変興味深く、確かに潜在意識のデータとコントロールで、無意識に私たちは生かされているところもあるかもしれず、問題解決や自己変容にも貴重な分野・情報を、潜在意識へのアプローチで提供してくれるかもしれません。

しかしながら、やはり「潜在」という言葉が使われているように、それは奥深くにあって、普段は認識できないものであり、実際には潜在意識のことを読み解いて、データを入れ替えるというのも難しいことではないかと思います。

潜在意識には生きることそのもののシステムが自動的に働いていることもあって、無闇に簡単に扱ってよいものとも言えないところがあると考えています。

ということで、今回は逆に、顕在意識・表面意識のほうで見てみたいと思います。

ところで私たちはいったい、自分の意識について、どれほど自覚した時間があるでしょうか?

仕事をしたり、家事をしたり、遊んだり、いろいろと日常的に私たちは活動しているわけですが、「あれをしよう」「これをしよう」と意識的に思うことはあっても、いつの間にか忘れていたり、何かに集中して無意識的になったりしていて、今考えていることを自覚する(している)という瞬間は少ないのではないかと思います。

そして実際、私たちは、そのほとんどを自動的・無意識的に動いていると言えます。

何か意識的になる時は、たいてい、切り替え時、意図をもって特に何かをしなくてはならない時だと思います。

一日の大部分は、実は自覚的でなく、意識的でもないのです。

しかもおよそ一日の1/3から1/4くらいは睡眠がありますから、睡眠中もほぼ無自覚と考えれば、自覚時間は極めて少ないと言わざるを得ません。

ただ、無意識・無自覚とは言っても、潜在意識的にどうこうということとは必ずしも一致しないと思っています。

例えば、毎日の食事や着替え、洗顔・歯磨きなどは、もしかしたらすでに潜在意識に刻み込まれていて、動かされているのかもしれませんが、自覚することはでき、いつでもパターンを変えたり、止めようとしたりはできます。

このように、意識すればいつでも変えられるもの、自覚可能なものを、ここでは対象としています。

言い換えれば、顕在意識化することができるものと言ってもいいでしょう。

そのほうが潜在意識よりも、まさに自覚しやすく、コントロールしやすいからです。

顕在意識はそのほとんどを自分でコントロールすることができます。「変えられるもの」と言ったのはそういう意味もあります。

先述したように、私たちのほとんどは、オートマチックに動いており、一日の大半を無意識的・無自覚的・習慣的に過ごしていますが、そのために、何の変化もない日が続くことにもなるのです。

言い換えれば、自分を変容・成長させることが毎日遅れていくようなものです。

これはいちいち何かを気に留めていたら、無駄に体力と気力を消耗し、生きる力に影響を及ぼすことから、人に備わった防御機能とも言えますが、それだけに曲者でもあるのです。

自分を守ってくれるものではあっても、あまりに無意識的になると、その機能が人の快楽反応(痛みを避け、快・楽を取る本能的な反応)に結びつき、無自覚な時間はそのまま積み重なって、ひどい時には一生続いてしまいます。

そうすると、主に外側の起こったことに反応するしかない人生となり、いわば自分の力を他人や外の偶然の現象に明け渡す結果ともなりかねない危険なものと言えます。他人の支配や洗脳にもつながるものです。

そこで、まずは一日のうち、時間単位で意識的な時を作ります。

具体的には、時間やポイントを決めて、自分の行っていることに意識的に注目し、何をしているのか具体的に自覚したり、今後やろうとすることを計画的に俯瞰したりします。

西洋魔法の修行では、逆向き瞑想というのがあり、一日の終わりにその時点から遡って思い出し、一日の始まりまで瞑想によって想起します。

こういうのも、自覚の時間(意識的な時間)を増やすことに、目的のひとつがあるように思います。

ちなみにタロットで、一日のあるポイントを心でマーキングしておくと、意識的な時間に戻りやすくなる方法もあります。

いずれにしても、自分は今何をしているのか、何をしようとしているのか、何をしてきたのかをはっきりと思い出したり、自覚したりすることが、眠っている意識を覚醒させるきっかけになるのです。

自分で眠らせているだけではなく、人から眠らされている場合もあるので、意識的時間をもって自己を覚醒させることは、自分の人生を自分のものにするためにも重要なことです。

マルセイユタロットの「手品師」から「斎王」「女帝」「皇帝」という流れにも、そのヒントが隠されています。特に「女帝」は、この意味において極めて重要です。

結局、そのまま普通に生活していると、世界はあなたのエネルギーを自動的に奪っていくようになります(世界があなたを動かすようになります)が、意識的に生きることを選択していくと、あなたが世界となっていく(あなたの思いが世界となっていく)ように変化していきます。

春先の睡眠や、休みの日の眠りのように、いつまでも惰眠をむさぼるのは気持ちのいいものです。(笑)

しかし、ちょっとつらくとも、意を決してベッドから抜け出していくことで、新しい世界へと旅立つきっけとなるのです。

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