幸せになるエゴの完成

■まずお知らせです。

先日告知しました「無料スカイプタロットリーディング」の企画ですが、複数の方にご応募いただきました。ありがとうございます。

そして抽選の結果、沖縄県のSさんが当選となりました。Sさん、どうぞ、よろしくお願いいたします。

選外の方も含めまして、ご応募された全員に、タロットからの一言メッセージをつけてご連絡しておりますので、ご確認くださいませ。

では本日の記事です。

マルセイユタロットでも、その大アルカナをメインとして、ひとつの人間成長の物語絵図のように見ることができます。

そして、それにも各種の段階があることに気づきます。

「スートリー」ですから、当然、ポイントとなる地点や転換点、ステップ・段階においての達成点ということも出てくるわけです。

私がこのところ思うのは、カードでいえば「運命の輪」の段階と、「悪魔」の段階が、とても現実的な意味で重要ではないかということです。

簡単に言えば、現実的な幸せを得ること、言い換えれば幸福感のリアリティは、まさにこの二枚の段階(目標)で言い表されるように思います。

現実的なことですので、物質と感情の満足にも関係し、それは言わば、「現世利益」の部分もあるわけです。

詳しくはマルセイユタロット講座のそれぞれのカードの解説、あるいは今後、新講座として企画している「自己実現をタロットで図るコース」で述べることになりますが、現実の幸せのために「運命の輪」と「悪魔」が象徴することは、自己認識の強化と拡大になります。

これも平たく言ってしまえば「エゴの完成」ということです。

エゴと聞けば、スピリチュアル的な用語の活用では、低次の自分、自分を囚われの状態に維持する悪もの的な扱いですが、ここでいうエゴは、まさに自分を自分と認識する思考・感情の集大成といったものです。

悪いとかいいとかという概念で計るものではなく、あくまで用法上の表現です。

この、自分が自分であることを強く意識する思いがエゴなわけですが、エゴが完成すると、究極的には世界は自分のものという感覚になります。

別の言い方をすれば、自分が世界になるのです。

それは自分の思考・感情で活動しても、誰の邪魔にもならず、また自分も迷いや葛藤もなく、やることなすことがすべて許容でき(許容され)、従って、何事もスムースに進み、それを楽しく感じられ、つまりは幸せになるという状態です。

なぜなら、あなたが世界であり、世界があなたになっているわけですから。(笑)

実際にはこのような究極は難しいでしょうが、少なくとも、自分のエゴが強くなればなるほど、世界があなたに近づいてきます。

世界はあなたのご機嫌を伺い、あなたに気持ちいい状態になってもらうよう、かしずいてきます。

でも、世界(あなたを中心とする世界)の人も無理矢理ではなく、それを喜び、楽しみます。

その人たちは、あなたのファンのようなものなのですから。

ということで、最初に戻りますと、幸せを感じる状況(世界)にするためには、エゴが強くなればいいということになります。

エゴを強くして、自分の価値観や信じる世界の色を濃くし、それを自分の周囲の世界に同調させていく(世界を自分に同調させる)という意味です。

イメージとしては、自分を中心としたドームが広がりを見せ、そのドームに入ったものは自分のカラー(世界観)に染まっていくような感じです。

たいていの人は、自分が人の世界観に取り込まれています。

そうではなく、今度は自分の世界に人を取り囲むのです。(それがいいか悪いかをここでは述べていません、あくまで幸せの実感の方法論で述べています)

ではエゴを強化するということはどういうことかと言いますと、一言でいえば、「自分らしくあれ」ということになります。

つまりは自分の個性を強く「個性」として認識することであり、自分が人と同じでありながらも、違っていることを知る気づきと理解です。

人は人類として皆基盤は同じですが、一人一人容姿や考え方もまったく違います。たとえ双子や似ている人がいても、細かい点ではやはり異なるのです。

それが人に与えられた個性です。

エゴの完成は、言い換えれば個の確立であり、統合よりも分離(一時的)の方向です。

ですから、スピリチュアルリストには否定されちがな方向性ですが、統合のためには分離が必要であることもまた段階や真理と言えましょう。

何より、この現実世界での幸福を願い、それを実現するのなら、個人個人のレベルで、自分というものを知り、その個性を際立たせることが求められます。

このことから考えれば、あまりにも自分を殺し、他人のために犠牲になったり、人の思想に従い、奴隷のように洗脳された生き方をしたりするのは、幸せとは逆方向であることがわかります。

そこまで極端ではなくても、自分の意見や主張、思いをあまり表現せず、ただ出されたもの、用意されたもの(状況)を容易に受け入れ、それを選択していくことは問題であることが理解できるでしょう。

個性を確立させるのには、自分を知り、他人を知らねばなりません。そのために自己探求や社会での経験・観察が必要なのです。

タロットはそのことで本当に役に立ちます。

ただし、マルセイユタロットは、「運命の輪」や「悪魔」の段階が本当の目的や最終段階ではないことは言っておきます。

エゴ・個性の完成は求められても、それが絶対や完全ではないのです。

要するにどのレベルまで自分を求めるか、ということになります。

実現可能か不可能かの問いは、合理的に見えて、それはあくまでやはり現実レベルでの閉じられた範囲での話となります。

「実現」(現実空間)という概念からも、はずれることが重要です。

ただ、普通に幸せを「実現」したいのは人としての当たり前の感覚・思いですので、それは人を動かし、自分が動く原点みたいなところがありますから、避けることはできないものです。

「人は幸せになるために生まれてきた」ということも言えますが、反面、「人は不幸になるために生まれてついている」とも考えられ、不思議な言い方をすれば、「不幸を実現することが幸せの近道であり、幸せの実現はすなわち不幸の固定」とも言えるのです。

それは表裏一体で、どれも真なり、かつ、偽でありだと私は考えています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top